小塚崇彦の「凝縮された」スケート人生 今あらためて振り返る栄光と挫折

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2011年の世界選手権では銀メダルを獲得。小塚の栄光と挫折に満ちたスケート人生を振り返る 【写真:ロイター/アフロ】

 祖父、父、母、叔母がフィギュアスケートの選手という環境で育った小塚崇彦(トヨタ自動車)が、彼らと同じ道に進むのは必然だった。ジュニア時代から注目を浴び、バンクーバー五輪出場や世界選手権で銀メダルを獲得するなど、いわばエリート街道を突き進んできた小塚だが、栄光の裏では挫折も経験している。特にソチ五輪の出場を逃したことは、相当の悔しさがあったようだ。

 それでも今となっては「その後も競技を続けたことによっていろいろ経験もしましたし、もう1回スケートを通して成長できた瞬間だった」と、ポジティブにとらえている。数々の思い出、さまざまな人との出会い。小塚はスケートとともに「1つの凝縮された人生を送ってきた」という。その競技生活をあらためて振り返ってもらった。

実家で見るうれしい光景

――今振り返ると、これまでのスケート人生はどういうものでしたか?

 一言で言うと楽しかったです。父親(嗣彦氏)から引き継いだのか、おじいちゃん(光彦氏)からかは分からないんですけど、(佐藤)信夫先生にも小さいころから教えていただき、おかげさまでこんなにスケートも滑れるようになりました。ただこのスケーティングは普段の生活で使えるものではないので(笑)。どこでそれを使えばいいか分からないですが、フィギュアスケートをやってきたことによって1つの凝縮された人生を送ってきたので、この経験というものは必ず今後に生かされると思っています。

――その凝縮されたスケート人生で一番うれしかった思い出は?

 同率で2つあるんですけど、2011年の世界選手権で銀メダルを取ったこと、あとはバンクーバー五輪に出たことですかね。五輪は特にあの3人(高橋大輔、織田信成、小塚)だったから楽しかった。出場した人のバッヂがあって、実家に飾ってあるんですけど、父親のものがあって僕のものもある(父の嗣彦は1968年のグルノーブル五輪に出場)。やっぱりその光景はうれしいですよね。それに加えて、全世界に友達ができたことも、すごくよかったなと思います。普通に生活していたら、留学でもしないと世界に友達ができることはないと思うんですけど、そういう意味ではグローバルにいろいろなことを感じられたと思います。

親子ともに五輪に出場。実家に飾ってあるバッヂを見るとうれしくなるという 【写真:ロイター/アフロ】

――外国の選手では誰と仲が良いのですか?

 チャーリー(・ホワイト)とアレックス&マイアのシブタニ兄妹とかですかね。以前、米国で練習をしていたこともあったので、そのときはゆっくり食事も行きました。あと試合のときはパトリック(・チャン)とよくご飯を一緒に食べたりとか。みんな良い人で、僕が分からない英語を簡単な英語にして言い換えてくれたりします。欧州の選手たちはみんなフランス語で、僕は全然分からないんですけど、パトリックが通訳してくれたりするし、そういう意味では本当に良い友達をもったなと思います。

――ちなみに英語はどのくらい話せるのですか?

 まあまあです(笑)。分かる話題ならついていける感じですね。頑張って話そうとするし。彼らは文法が違ったら「これ違うよ」と言ってくれたり、「こう言いたかったんじゃない?」と確認までちゃんとしてくれる。それはありがたかったです。

――みんなで集まったときはどういった話題が多いのですか?

 試合のときは「去年のアイスショーでこうだったよね」とか、アイスショーのときに行ったカラオケの話とか、ジュニアのときの話とか、そんな感じですかね。あとはテレビや映画の話をしてるんですけど、海外のものは見ないので僕はちんぷんかんぷんです(笑)。

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