共通点を持つ両校による21世紀枠対決 大観衆も冷静になれた釜石・岩間の投球

楊順行

釜石の主将も「宣誓にふさわしいプレーを」

9回に1点を失ったものの、20年ぶりの甲子園で 母校に初勝利をもたらした岩間 【写真は共同】

「当たり前にあった景色がなくなる。その重みを僕たちは忘れたくありません。当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドに立ちます」

 小豆島高・樋本尚也主将の前日の宣誓は胸に響いた。11日の組み合わせ抽選会、宣誓の大役を引き当てて「やってしまいました……」とはにかんだのとは別人のようだった。少子化の進行で、来春土庄高と統合し、小豆島中央高と校名が変わる。そのことに思いをはせるとともに、5年前の東日本大震災で地元が甚大な被害を受けた対戦相手・釜石高へのエールでもあっただろう。

 釜石高の主力は、当時小学5、6年生。現在も仮設住宅から通学している菊池智哉主将は、「自分たちも、あの宣誓にふさわしいプレーをしたいと思います」と語った。

コールド負けをきっかけに変わった両校

 共通点が、いくつかある。東日本大震災の被災地から選ばれた釜石高と、島からは初めての出場で、16年度限りで統合する小豆島高という話題性。釜石高・佐々木偉彦監督と、小豆島高・杉吉勇輝監督は、1学年違いながらこの日時点では同じ32歳という若き指揮官だ。そして、もうひとつ。ひとつのコールド負けから始まっているのも、相似形だといえる。

 昨秋、釜石高は、地区予選1回戦でコールド負けを喫した。「センバツを目指すなかで、崖っぷちの状況」(佐々木監督)だ。ただ、敗者復活戦までの1週間、「ゆるんだ姿勢があれば、厳しい言葉をかけて選手の熱量を上げて」いくと、背水の陣から公式戦5連勝で県大会準優勝。東北大会でも、強豪・東北高を相手に臆することなく戦い、「チームが変わるきっかけとなった敗戦でした」と佐々木監督は振り返る。

 小豆島高は昨夏、3回戦で高松商高と対戦した。0対7の8回コールド負け。その試合では長谷川大矩と植松裕貴のバッテリーら、2年生が4人スタメンに名を連ね、打倒・高松商高が新チームのテーマになった。だが、チームはなかなかしっくり来ず、8月末の高松商高との練習試合でも、5回まで3失点と劣勢だった。

 ここで、杉吉監督。「オマエら、高(松)商を倒したいとやってきて、いま、そこと試合をしていて楽しいか? もっと楽しくしたらええんちゃう?」

 結局この試合は敗れたが、呪縛から解けたナインは県大会をしぶとく勝ち抜き、決勝に進出。そしてそこで、のちに神宮王者となる高松商高に、昨秋唯一の公式戦黒星をつけるのだ。1925年の創部以来、初めての優勝だった。

 楽しく。話はちょっとそれるが、小豆島高野球部の方針は、「Enjoy Baseball」だ。杉吉監督が、慶応大出身だからだろう。丸坊主ではなく、髪の毛が長いのも慶応流なのかと思った。だが実は、「坊主を嫌がって、入部しない子が過去にいた」(杉吉監督)。2009年の就任時、部員は9人。髪型自由化は、部員不足解消のためなのだ。

「歴史をつくれたことを誇りに」

小豆島からかけつけた大応援団を見て、釜石・岩間は一瞬ひるんだもののその後は冷静な投球を見せた 【写真は共同】

 さて、第2日第1試合。13年、遠軽高といわき海星高の対戦以来、史上2度目の21世紀枠対決だ。グラウンドに足を踏み入れたとたん、釜石高のエース・岩間大はたじろいだという。

「三塁側アルプスが、えんじ色でぎっしり染まっていて。すごい人数でした」

 午前2時半、臨時便のフェリー4隻で出発した小豆島からの約2000人に加え、島外在住の卒業生らを含めると約5000人が集結。小豆島高のアルプスが、スクールカラーに染まっていた。岩間は続ける。

「自分たちの一塁側を振り返ると、数ではとてもかないません。だけど、遠くから駆けつけてきてくれましたし、知っている顔もいた。みんながいるんだ、と」

 冷静になれた。立ち上がりの課題を自覚して、普段はシートノック時から始める投球練習を、試合開始40分前から始めた。初回、先頭打者に四球を与え、球速も思ったように伸びなかったが、「上位打線にはカーブは通じない」とチェンジアップを多用し3回、三者凡退に抑えてからリズムに乗った。するとその裏、1番・佐々木航太のタイムリーで先制し、8回には奥村颯吾の適時二塁打が出て2対1。試合時間1時間32分、高校生らしい、きびきびしたゲームだった。

「これまで経験がないので、完封を狙っていた」9回こそ、守備の乱れもあって1点を失ったが、7安打1失点で完投勝利。20年ぶりの出場で同校初勝利を挙げた岩間は、「自分たちで歴史をつくれたことは、誇りに思います」と胸を張る。

 一方、敗れた小豆島高・杉吉監督は、「岩間君のチェンジアップに泳がされた。繊細に投げていましたね。打線も、逆方向に素直に打ち返されました。ただ、いい試合ができた充実感より、悔しさしかありません」

 付け加えておく。岩間の母・成子さん(当時44)は東日本大震災の津波で流され、現在も行方不明だ。「乗り越えてきた苦難は、だれにも負けない」という岩間と釜石高がこの春、旋風を起こすか。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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