難波宏明、唯一のこだわりは「24」 岐阜の背番号にまつわるストーリー

小崎仁久
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当初は何でもよかった背番号

FC岐阜への移籍の際、自ら「24」を選んだ難波 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 背番号はもともと観客のためにあるものである。プレーヤーを区別する数字であり、選手には自分で見えるものでもなく、その数字でゴールネットを揺らすわけでもない。言わずもがな、背番号に意味を持たせる選手は多いが、難波宏明にとって「24」は初めてつけた当時、何の意味も持たなかった。今でこそ、泥臭いゴールと献身的なプレーで、ラモス瑠偉監督をして「チームの魂」と言わしめるFC岐阜には欠かせないストライカーであり、J2屈指の危険なFWだが、12年前、21歳の難波は「サッカーは本気でやっていなかった」という。

 2001年、高校を卒業後、ヴィッセル神戸に加入したが1年で契約解除。翌年、栃木SC(当時JFL)へ移ったものの、そこでも芽は出なかった。プロサッカー選手を諦めた難波は、もうひとつの夢であった教師の道を目指す。教職課程を修得するため入った流通経済大でもプレーは続けていたが、サッカーは二の次だったという。しかし、そこで偶然にも「24」に出会う。

「最初は36番をつけていたのですが、大会の登録をするために背番号を前に詰めてくれと言われて」

 サッカーがそれほど重要なものではなくなっており、それゆえ背番号も何でもよかった。しかし「24」をつけるようになると、難波の中で再び何かが揺さぶられた。それは大学の同い年の仲間、栗澤僚一(現柏レイソル)、杉本恵太(現ヴェルスパ大分)らの活躍によるものだった。
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著者プロフィール

スポーツライター。1969年生まれ、名古屋大学大学院(工学研究科)修了。サッカー、バレーボールを中心に取材しながら、スポーツ文化、スポーツビジネス、スポーツアカデミズムなどにも取り組む。『月刊J2マガジン』(ベースボール・マガジン社)『サッカーダイジェスト』(日本スポーツ企画出版社)『スポルティーバ』(集英社)『ビーチバレースタイル』などで主に執筆。InterFM「Green Jacket」コメンテーター、雑誌編集、コーディネーターなども務める。

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