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“10番らしくない10番”土岐田洸平
町田の背番号にまつわるストーリー

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高校時代以来の10番

J2に戻ってきた土岐田は今季も町田で10番を背負う
J2に戻ってきた土岐田は今季も町田で10番を背負う【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 土岐田洸平ほど“10番らしくない10番”は、Jリーグでも他にいないだろう。いま任されているポジションはサイドバック。華麗な技巧でなく、ハードワークを武器に10年近いキャリアを積んできた。大宮アルディージャ、大分トリニータ、FC町田ゼルビアと渡り歩く中でGK以外はすべてのポジションを経験したというオールラウンダーでもある。


 土岐田は昨年、プロ生活で初めてJ3に“落ちて”きた。J2の大分(当時)を去らざるを得なかった彼が選んだクラブは町田。「今だから言いますけれど、J3に行くのはちょっとな……という考えも強かった」と本人は当時の心境を振り返る。そして、こう続ける。


「自分の中では相当な覚悟を持っていた。考えるところがあった」


 昨年もし町田がJ2に上がれなかったら、土岐田が満足のいくパフォーマンスを見せられていなかったら、プロ生活に終止符を打つ……という決断もあり得ただろう。一方で、彼は小学校から大学まですべて町田で学んだという生粋の地元育ち。その実力と姿勢、地元との縁を考慮して、町田は彼に相応の評価を示していた。他のJ3のクラブだったら「多分行っていない」と土岐田は言うが、彼は生まれ育った町のクラブからのオファーを受け入れた。


 町田でプレーするにあたって、土岐田が心中に秘めていた覚悟。それは「1年間の勝負で、(J2に)昇格させる」ことだった。大分で背負っていた背番号「6」にも愛着はあったが、それは主将の李漢宰がつけている。そこで土岐田が選んだのは“覚悟”を示す最高の番号だった。「エース番号を背負う気持ちで“10”にいきました」と彼は自らの選択を説明する。三菱養和SCユースのエースストライカーだった高校時代以来の10番だった。

大島和人
大島和人

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都町田市に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。バスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、バレーなどの現場にも小まめに足を運び、試合観戦数は毎年300試合を超える。日本を実はサッカーだけでなくバスケ強国であるスペイン、バレー王国・ブラジルのような球技大国にすることが一生の夢で、“球技ライター”を自称している。

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