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“伊達男”が粋に演出した中山雅史の9
磐田の背番号にまつわるストーリー

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スキラッチから提案された中山との背番号交換

“ゴン・トト”と呼ばれた伝説の2トップには背番号をめぐるストーリーがあった
“ゴン・トト”と呼ばれた伝説の2トップには背番号をめぐるストーリーがあった【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 3度のリーグ日本一に輝いた名門ジュビロ磐田で、真っ先に思い浮かぶ背番号と言えば、「9」ではないだろうか。2009年までチームのエースナンバーを背負っていたのは、J1通算で157ゴールをたたき込んだ不屈のFW中山雅史(TV解説者、JFLアスルクラロ沼津)だ。


 磐田がJリーグに昇格した1994年から数年間はまだ固定の背番号が与えられていなかったが、9はすでに誰もが認める中山の番号だった。ところが同年、中山はシーズン途中にけがで長期離脱を余儀なくされた。代わって9番を背負ったのは、中山の離脱と入れ替わるようにチームに加入し、後に“ゴン・トト”と呼ばれた伝説の2トップを組む元イタリア代表――90年の地元でのワールドカップで得点王に輝いたFWサルバトーレ・スキラッチだった。


 中山は翌95年シーズンから試合に復帰したが、アウェーで迎えたジェフユナイテッド市原(現千葉)との開幕戦でつけた背番号は、これまでの9ではなく11だった。試合内容で押していた磐田はシュートを相手の2倍近く放ったが、結局ゴールを奪えず0−1と惜敗。「勝利に貢献したい」と自身のゴールに意欲をのぞかせて試合に臨んだ中山だったが、325日ぶりの復帰戦を白星で飾ることはできなかった。


 何としてもシーズン初勝利が欲しい第2節、ホーム開幕戦となるガンバ大阪戦を数日後に控えた練習後のロッカールームで、前年から9番を背負ってきたスキラッチから中山に、ある提案が伝えられた。「次の試合からお前の背番号11とオレの9を交換してくれ。やっぱり9番が一番似合うのはゴン、お前だから」。世界を知る男の提案を、中山は快く受け入れた。

望月文夫

1958年生まれ。ランニング、サッカー等の専門誌で編集記者。その後フリーとなり、陸上、サッカー、バレーボールを中心に専門誌等に執筆。

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