古巣への復帰を決めた柿谷と丸岡の決意 C大阪はどのように変貌を遂げるのか

元川悦子

1年でのJ1復帰を逃したC大阪

C大阪の新体制発表会見。新戦力に柿谷(8)、丸岡らが加わった 【写真は共同】

 2015年シーズン、J1昇格プレーオフ決勝まで何とか勝ち上がったセレッソ大阪は、アビスパ福岡と対戦。玉田圭司の先制点でリードしたものの、後半42分という土壇場で追いつかれ、1年でのJ1復帰を逃した。森島寛晃、香川真司、清武弘嗣、山口蛍といった日本代表選手を次々と送り出してきた西の名門は、今季こそJ1の切符をつかまなければならない。

 強い意気込みを表すかのように、C大阪は14年のワールドカップ(W杯)後にスイススーパーリーグのバーゼルに移籍した柿谷曜一朗、14年1月からボルシア・ドルトムントU−23で2年間プレーしていた丸岡満の欧州経験者2人を呼び戻し、16年シーズンの戦力に加えた。

 昨季キャプテンだった山口蛍が欧州に新天地を求めた後、柿谷、丸岡、杉本健勇(川崎フロンターレから復帰)というアカデミーの生え抜き選手が復帰したのは、クラブにとって前向きな要素だ。今季から正式に指揮官となった大熊清監督も「前(アタッカー陣)の選手層が厚くないと、タフなJ2で凌駕(りょうが)することができない。彼らを獲得できたのは大きい」とプラス面を強調していた。

バーゼルから古巣への復帰を決めた柿谷

柿谷(左)は欧州での挑戦を契約途中の1年半で終え、古巣復帰を決めた 【Getty Images】

 1年半ぶりにエースナンバー8を背負うことになった柿谷は、スイスで想像を絶する苦境を味わった。14−15シーズンはパウロ・ソウザ監督との確執が表面化し、リーグ戦14試合出場3ゴールにとどまった。指揮官がウルス・フィッシャー監督に代わり、心機一転、挑んだ今季は開幕節のファドゥーツ戦に右MFでスタメン出場。待望のゴールも奪った。

 本人は大きな自信をつかんだが、間の悪いことに、左足打撲の悪化が判明。1カ月の離脱を余儀なくされてしまう。その間にチームには新戦力が加わり、柿谷自身もけがを繰り返すなど悪循環が続いた。結局、前半戦はリーグ4試合出場1得点と前年を下回る成績に甘んじた。

 昨年10月の時点では「バーゼルとの契約は4年あるし、もう少しじっくり考えたい」と残留の意向を示していた柿谷だったが、実戦の場から離れたままでは自身のキャリアにマイナスにしかならないと考えたのだろう。最終的に古巣への復帰を決めた。

「12月に帰国して、セレッソの自主トレに参加した時はまだ決めきれていなかったけれど、最終的に戻る決断をした。8番を空けて自分を待っていてくれたクラブには感謝しているし、いろいろな面で恩返しをせなあかん。

 もちろん俺1人だけで絶対にチームは変わらへんけど、12年に徳島(ヴォルティス)から戻ってきた時より年齢もいっているから、自分が引っ張らなあかんと思っている。J2に150試合(実際は148試合)出ているからよく分かるけれど、J2はホンマに難しいリーグ。とにかく試合に出られる体作りをしっかりしないといけない」(柿谷)

丸岡の復帰を後押しした先輩・香川の言葉

先輩・香川(左から2番目)の後押しもあり、J2の舞台での挑戦を選んだ丸岡(右) 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 一方の丸岡は、セレッソU−18時代に同クラブの育成サポート組織であるハナサカクラブの支援を受けて4度の欧州遠征に参加。そこで当時ドルトムントを率いていたユルゲン・クロップ監督の目に留まり、期限付き移籍という形で引き抜かれた。

 その後は主にU−23で活動していたが、トップチームの負傷者続出もあって、14年9月のマインツ戦でブンデスリーガデビュー。香川と同じピッチで戦う機会を得た。今季も期限付き契約延長となり、昨年7月の日本遠征にも参加。川崎フロンターレ戦ではゴールも奪うなど、完全移籍に近づいた印象も強かった。

 だが、トップの指揮官がトーマス・トゥヘル監督に代わり、U−23も監督交代した影響も大きかったのか、志半ばで古巣に戻ることになった。本人は欧州での活躍を思い描きながらレベルアップに励んでいただけに、今回の古巣復帰には複雑な感情もあったはずだ。

 それでも「やっぱりトップチームの試合に出ることは意味がある。今のお前だったら日本で出られる。五輪や日本代表を目指すのなら、一度Jリーグに復帰するのも良い方法じゃないか。お前ならまた欧州に戻って来られる」という先輩・香川の言葉が心に強く響き、スッキリした気持ちで今季J2の舞台に挑める状態になったという。

「ドイツは日本ほどグラウンドが良くないし、球際も当たりも激しい。そういう環境で身に付けてきたものをセレッソで出さなきゃいけない。僕はJリーグが初めてなので、まずはJ2の試合を勉強して開幕戦に合わせたい」と本人も強い意欲を持って練習をこなしている。

 大熊監督も「丸岡はとにかく走れるし、運動量がホントにすごい。ドルトムントではあのくらい走らないと相手に捕まってしまう。その厳しさを体感してきたアドバンテージは大きい」と高評価している様子だ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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