イチローの憧れと野茂の「女房役」が選出 グリフィーとピアザが米野球殿堂入り
グリフィーは2009年にマリナーズに復帰し、イチローのチームメートになった 【Getty Images】
その人気ぶりを象徴するのが、94年のオールスターファン投票で獲得した607万9688もの票である。これは2011年になってようやく塗り替えられたものの、まだインターネット投票など存在しなかった時代にあっては、夢想もできない数字だった。
1987年に全米ナンバーワン指名を受けてシアトル・マリナーズに入団したグリフィーは、89年に19歳の若さでメジャーリーグの舞台にデビュー。翌90年にはまだ40歳で現役だった父ケン・グリフィー・シニアとメジャーリーグ史上初の「親子チームメイト」となり、スタメンで並んだ父と「親子連続アベック弾」を放って大きな話題となった。
この90年から11年連続でファン投票によりオールスターに選出され、ゴールドグラブ賞もこの年から10年連続で受賞。4度の本塁打王、さらに打点王、MVPにも輝くなど、グリフィーは球界のスターにとどまらず、米国を代表する人気アスリートにまでなっていった。
イチローの憧れの存在として
皮肉なことに、この移籍を機にグリフィーの野球人生は暗転する。新天地1年目には史上最年少の30歳4カ月で通算400本塁打に到達し、当時のメジャー記録であるハンク・アーロン(元ブレーブスほか)の通算755本塁打の更新も期待されたが、レッズでの9年弱はケガに泣かされどおしだった。
08年に史上6人目の通算600本塁打を達成したグリフィーは、そのシーズン途中でシカゴ・ホワイトソックスに移籍すると、翌09年は古巣のマリナーズへ復帰。これを誰よりも歓迎したのが、グリフィーに代わって「シアトルの顔」となっていたイチローだった。2人は翌10年のシーズン途中でグリフィーが引退するまで共にプレー。13年にグリフィーがマリナーズの殿堂に入ると、その時はヤンキースに移籍していたイチローはこんなメッセージを送った。
「ずっとあなたに憧れていました。09年、ついに夢がかないましたよ。あなたとチームメイトになることができた。一緒にいた時間は短かったですが、いつまでも忘れられません」
それから2年あまり。メジャーリーグ史上最多の通算762本塁打を誇るバリー・ボンズ(元ジャイアンツほか)が、有資格4年目の今年も殿堂入りに届かなかったのを尻目に、グリフィーは有資格1年目にして全440票中、437票を得て殿堂入りの栄誉に浴した。それは彼が筋肉増強剤などの力を借りることなく、歴代6位の通算630本塁打などの記録を残したからだろう。
グリフィーの本家殿堂入りが決まった今、イチローはどんな祝福のメッセージを用意しているのだろうか。