自称“人畜無害”木佐貫洋のいい人伝説 普通の感覚を忘れなかったプロ13年間

長谷川晶一

普通の人であり続けた木佐貫。プロ13年間で3球団を渡り歩き、通算215試合62勝72敗10S、防御率3.76の成績を残した 【写真は共同】

「多くの人が『いい人だ』と言っていますね」

 そう問いかけると彼は小さく笑った。

「僕はみんなが言うほど、『いい人』ではないんですけどね……(笑)」

 2015年、木佐貫洋に二度ほどインタビューをした。一度目は7月の終わり、練習が終わったばかりの千葉・鎌ヶ谷スタジアムで。二度目はすでに現役引退を表明したシーズンオフ、11月半ばのことだった。

取材から目の当たりにした好漢ぶり

 最初のインタビューでは、08年の木佐貫による「危険球退場」について話を聞いた。

 08年5月7日、東京ドーム――。阪神戦に先発した木佐貫(当時巨人)は3回裏2死走者なしの場面で、打者・金本知憲の後頭部を直撃する危険球を投じて退場処分を受けた。当時の金本は連続試合フルイニング出場記録を更新中で、誰もがこの瞬間に「ついに記録が途絶えたか」と感じていた。しかし、金本はそのまま試合に出場し、記録はこの日も継続されることとなった。

 そんな、思い出したくもないであろう場面について話を聞いたのだ。しかも、このときの木佐貫はファームでもなかなか結果を残すことができず、苦しみもがいていたころだった。「危険球退場」という苦い思い出について、現役選手に質問するという非礼を詫びると、木佐貫は笑顔で応えた。

「いえいえ、全然構いません。何でも聞いて下さい」

 世間に流布する「木佐貫はいい人」という噂が本当であるとすぐに悟った瞬間だった。それから3カ月強が経過。再び木佐貫に会うと、彼はこんなことを言った。

「実は以前取材をお受けしたとき、すでに現役引退の決意をしていました。黙っていてすみませんでした……」

 自身の人生に関わる重要な問題だ。部外者である1インタビュアーに対して、いちいち進退を報告する義務も責任もない。それでも、謝罪の思いを告げずにはいられない。それが木佐貫洋という男なのだとあらためて知った。そして、その好漢ぶりを目の当たりにすると「やはり彼はいい人なのだ」と再認識したのだった。

深々と頭を下げながらの名刺交換

 最初のインタビューでは、初対面ということでこちらから名刺を差し出した。ユニホーム姿の木佐貫は、それを静かに両手で受け取り、丁寧に机の上に置いた。野球選手のインタビューにおいて、片手で受け取る者、もらった名刺を放り投げる者は珍しくない。だからこそ、木佐貫の「普通」の態度が強く印象に残った。そして、このとき木佐貫は言った。

「私、木佐貫洋と申します。今、名刺が手元にないので取材後に取ってきます」

 こちらは木佐貫のインタビューに赴いているのだ。目の前の長身の痩身男性が木佐貫であることは、その背番号29を見なくても十分、承知していた。それでも彼は、深々と頭を下げながら、自らの名前を名乗った。

 そして約束通り、取材終了後には急いでロッカールームに戻って、小走りでインタビュールームに戻ってきた。その手元には自筆のサイン入りの野球カードと、自身が応援大使を務める北海道士別市の名所案内が書かれた名刺があった。これまで何人ものプロ野球選手にインタビューをしてきたけれど、現役選手から名刺をもらったことは初めての経験だった。深々と頭を下げながら名刺交換している姿を見ていて、「やはりこの人は“普通”の感覚を忘れていない人なのだ」と痛感した。

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著者プロフィール

1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(角川新書)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

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