関東の星となれ3歳ノンコノユメ 自慢の鬼脚でダート世代交代へ
3歳馬ノンコノユメが自慢の末脚でダート界に世代交代をもたらすか(撮影:下野雄規) 【netkeiba.com】
デビュー戦から絶対の自信
加藤征調教師はデビュー前からノンコノユメに手応えを感じていたという 【netkeiba.com】
「動きが良い馬がいる」と社台Fの吉田照哉氏から紹介を受けたのがきっかけだった。調教での走りを見ると「芝でもいけそうな感じがしました」と加藤がいうように、根っからのダート馬という印象でもなかったようだ。デビュー前の追い切りの動きもすこぶる良く、「出れば勝てる」くらいの手応えを感じていた。
初陣は昨年11月23日の東京競馬場のダート1600m戦。3キロ軽い石川裕紀人を起用した。スタートは出たものの、出脚がつかずに中団の後ろからの競馬となったが、直線で脚を伸ばして粘るラテラスをねじ伏せ、加藤の「勝てる」という見立ては的中した。
12月の中山と年が明けて2月の東京と石川が手綱を取って500万下を2戦し、2着、3着と勝ち星には手が届かなかったが、クリスチャン・デムーロに手が替わった4戦目の中山で2勝目を挙げている。
この時も行き脚がつかずに最後方からの競馬になったが、3コーナー手前から動きはじめ、4コーナーでは大外から先頭に並びかける勢いで直線に向き、早めに抜け出してそのまま押し切るという強い競馬だった。
その後、4月の中山の伏竜S(OP・横山典弘)の5着を経て、クリストフ・ルメールを鞍上に迎えた5月の東京の青竜S(OP)では、相変わらず後方からレースを進め、直線に入ってからグイグイと脚を伸ばし、鮮やかに差し切って3勝目をマーク。その勢いのまま、6月の東京でユニコーンS(GIII)に優勝して重賞初制覇を成し遂げた。
デビュー以来、出遅れたり、行き脚がつかない競馬が続いていたことについては「スタートしてすぐにスピードに乗らないというのは、腰のあたりにまだ弱さがあったからというのもあると思いますね」と加藤は分析する。
そのような状況の中で、ユニコーンSからジャパンダートダービーというローテーションを陣営は選択した。
「ユニコーンSからJDDは、中1週と3日ほどの間隔でした。馬がしっかりしていなくて、まだ成長段階でのこのレース間隔はきついですよね。あのような脚を使う馬だし、レース後の疲れもそれなりにあって、その頃はその疲れを取ってまた上の段階にという感じでした」
と、2歳から3歳春までの状況を説明する。そして「結果を出せる状態」という手応えをつかみ、ジャパンダートダービーの出走に踏み切ったのだった。
レース当日は、雨で水が浮くような不良馬場。1番人気のクロスクリーガーが逃げ切るかと思われたが、不良馬場でもその切れ味は鈍ることなく、ゴール板を通過した時には2着馬(クロスクリーガー)に2馬身半の差をつける圧勝。「結果を出せる状態」と感じた手応えが間違いではなかったことを証明した。