「少しずつ、着実に」進化する宮原知子 弛まぬ努力の末にたどり着いた目標の舞台

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緩やかな成長曲線を描く

NHK杯でGP初制覇を果たした宮原知子の歩みを振り返る 【写真:ロイター/アフロ】

 天才型の選手では決してない。そして器用な人間でもおそらくない。だが、宮原知子(関西大中・高スケート部)は緩やかな成長曲線を描きながら、シニア参戦3年目にしてついにNHK杯(長野・ビッグハット)でフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ初制覇を成し遂げた。

「NHK杯はシニアに上がってからずっと出ていて好きな大会だったので、そこで勝てたのはすごくうれしいです。また200点台を出すことは1つの目標だったので、少しではありますが、200点を超えて良かったです」

 浅田真央(中京大)やアシュリー・ワグナー(米国)といった実績・経験を兼ね備えるトップ選手を破っての戴冠。さぞかし喜んだのかと思いきや、「うれしかったんですけど、なんか複雑な感じで……。ホテルに帰ってからはいつも通りの感じでした(笑)」。

 本人も自覚しているように、感情の起伏はあまりない。失敗して落ち込むことはあるそうだが、それは表に出さず、寝たら忘れてしまう。試合に勝ってもはしゃいだりすることはほとんどない。優勝した今回のNHK杯や、昨シーズンの全日本選手権では、隣にいた濱田美栄コーチのほうが喜びをあらわにしていたくらいだ。

 身長は149センチと小柄。よくよく考えてみると、フィギュアスケートをやるにはいろいろと不利な面があるようにさえ思える。多少なりとも身長(特に手足の長さ)があったほうが演技はきれいに見えるだろうし、感情豊かであるほうが表現力という意味では有利に働くはずだ。ジャンプに関しても、他の選手に比べて高さがやや物足りなく映る。

 それでも、宮原はそうした弱点を、弛まぬ努力を積み重ねることで克服してきた。

武器は練習量に裏打ちされた安定感

 宮原の経歴を見てみると、いかに彼女が少しずつ段階を踏んで、成長してきたかが分かる。2011年、12年と全日本ジュニア選手権を連覇。全日本選手権は初出場の11年から6位、3位、4位と来て、昨シーズンついに優勝を果たした。GPシリーズは13年のNHK杯でデビューし、以来5位、5位、3位、3位、3位、そして今回の優勝と順位を上げていっている。全日本女王として臨んだ昨季の世界選手権では初出場ながらいきなり銀メダルを獲得。同大会では、ジュニア時代から1度も勝ったことがなかったエレーナ・ラジオノワ(ロシア)を上回った(ラジオノワは3位)。

 歩みはそれほど急ではないかもしれない。しかし、実力がつくにつれて、成績もそれに伴って上がっている。好不調の波はほぼない。確かな練習量に裏打ちされた安定感は宮原の武器でもある。

濱田コーチ(右)も認める「練習の虫」。積み重ねた日々の努力が成長へとつながっている 【坂本清】

「放っておいたら彼女は1日中練習している」とさえ濱田コーチは言う。とにかく「練習の虫」なのだ。濱田コーチが選手を指導する上で大切にしていることは「少しずつ、着実に」。宮原はまさにその教えを体現している選手かもしれない。自分でも「あんまりすぐにはあきらめずに、何事も最後までやる人間」だと思っている。

 10月のスケートアメリカでは珍しくジャンプで転倒し、3位に終わった。NHK杯まで約1カ月。宮原は練習中と試合のジャンプを見比べて、ある悪癖に気がついた。緊張する試合では、ジャンプで早く回転しようとするあまり、頭と顔も一緒に回っていたのだ。そうするとジャンプが上がりにくくなり、転倒や回転不足の要因ともなる。練習ではその改善に努め、NHK杯での結果につなげた。

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