ブンデスで成長曲線を描き続ける原口元気
2年目で目指すは「シーズン10点」

監督から大きな信頼を得ている原口

今季リーグ戦全試合に出場し、ダルダル監督から大きな信頼を得ている原口
今季リーグ戦全試合に出場し、ダルダル監督から大きな信頼を得ている原口【Bongarts/Getty Images】

 今季ドイツ・ブンデスリーガ11試合を終えたところで5勝2分け4敗の勝ち点17と、UEFAヨーロッパリーグ(EL)圏内の6位という上々の戦いを見せているヘルタ・ベルリン。そのチームを力強くけん引している1人が原口元気だ。ヘルタ2シーズン目を迎えた彼は今季リーグ戦全試合(うち先発10試合)に出場。左右のサイドに加え、チーム状況に応じてトップでも起用されるなど、「攻撃のユーティリティープレーヤー」としてパル・ダルダイ監督から大きな信頼を寄せられている。


 その顕著な例が、10月31日のブンデスリーガ第11節のボルシア・メンヘングラードバッハ戦だった。4−2−3−1の右MFでスタメン出場した原口は、前半途中にトルガ・チゲルチとポジションを入れ替え、サロモン・カルーと2トップ気味の位置でプレー。後半になってロニーが送り出されると、今度は左サイドへ移動。献身的な守備を見せ続ける。そして、残り15分を切ったところで一気にギアをアップ。ゴール前へのスプリントを繰り返し、懸命に攻撃の突破口を見いだそうとした。結果的にヘルタは1−4の完敗を喫し、原口自身も「今季対戦した相手の中で最も強いチームだった」と舌を巻いたが、彼のマルチな能力とドイツで磨き上げた走力が強く出たゲームだったのではないだろうか。

控えに甘んじた昨季の前半戦

 少年時代から傑出した才能を見せ、浦和レッズのジュニアユース・ユースで着実に成長。まだ17歳だった2009年にトップ昇格を果たし、背番号24をつけて6シーズンの間、攻撃の軸を担ってきた原口(14年シーズンは背番号9)。もともと幼い頃から海外志向の強かった彼が、23歳でドイツに渡ることを決意したのは、ごく自然の流れだった。


 昨季のヘルタは12−13シーズンのブンデス2部優勝時からチームを率いていたヨス・ルフカイ監督が指揮を執っており、同監督の秘蔵っ子とも言われた細貝萌(現ブルサスポル/トルコ)も所属していた。


「最初はハジ君(細貝)にいろいろなアドバイスをもらった。本当にお世話になりましたね」と原口自身も語っている通り、すでにドイツで4シーズンを過ごしていた先輩の存在は非常に心強かったようだ。


 細貝のサポートもプラスに働いたのか、14−15シーズンは8月23日のリーグ開幕戦・ブレーメン戦(2−2)でいきなり先発デビュー。2得点に絡む活躍を見せる。しかし、終了直前に相手からタックルを受けて右肩を負傷。3週間の離脱を強いられる。チームが完全に固まっていないシーズン序盤のけがの影響は新加入選手にとって大きく、復帰後は出番が減少。前半戦を折り返し、ウインターブレークが明けても、控えの位置づけからなかなか抜け出せなかった。

転機となったフィジカル強化

 そんな時、原口が意欲的に取り組んだのがフィジカル面の強化だった。


「試合に出られなかった時期は割り切ってトレーニングしていましたね。ドイツのサイドは走れることが大前提。予想以上に守備を求められるし、50〜60メートルのスプリントをしてから1対1のマッチアップに入り、そこで勝って初めてゴールに向かう本来の仕事ができる。それだけの走力が求められるので、まずはスプリントのトレーニングを繰り返しました。


 フィジカルコンディションが整っていないと当たりの部分でも勝てない。ドイツの選手は日本人とは違った迫力がありますし、当初は間合いもつかめていなかった。結果的にぶつかり合った時に負けて、自信を失う悪循環に陥った。それを克服するためにも、フィジカルを強くしなければいけないと思ったんです」と彼は冷静に振り返る。


 こうした地道な努力を続けていた矢先の15年2月、ルフカイ監督の解任という大きな出来事が起きる。ブンデス2部降格圏に沈んだチーム状態を重く見たフロントの判断だった。後任にはクラブOBでリザーブチームを指揮していたダルダイ現監督が就任。細貝が出番を失うのと対照的に原口はチャンスを与えられ、3月14日のシャルケ戦(2−2)では待望のリーグ初ゴールをゲット。ここから一気に信頼を勝ち取り、4月以降はコンスタントにスタメン起用される。最終的に8試合連続先発と尻上がりに調子を上げる形で1年目のシーズンを終了。本人も大きな自信と手ごたえをつかんだという。


「データを見ても分かる通り、序盤戦とは走行距離が1〜2キロメートルは違うと思うんですよね。スプリント回数も倍以上に増えた。走れるようになったことで、プレーの余裕も生まれ、ボールを恐れずにいろいろなところで受けられるようになりました。ドイツに行った当初は、相手に(体を)当たられてボールを取られてしまうことが怖かったので、なかなか良い位置でボールを受けられなかったけれど、そういう部分も克服できたのかなと思います」と原口は1年間での劇的な成長を実感したようだった。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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