ザルツブルクで得点量産、南野拓実の野望 「ここに来たのはステップアップのため」

元川悦子

7得点で得点ランク3位

ザルツブルクでの2シーズン目を迎え、得点を量産している南野拓実に近況を聞いた 【元川悦子】

 現地時間24日に行われた2015−16シーズンのオーストリア・ブンデスリーガ第13節・SVリート戦。レッドブル・ザルツブルクの背番号18をつける20歳のアタッカー・南野拓実はリーグ戦10試合連続で先発出場を果たした。

 今季の彼はここまで7得点。チーム内ではキャプテンマークを巻くホナタン・ソリアーノの8点に続く2位、リーグ全体でも得点ランク3位という好位置につけている。4日のラピッド・ウイーン戦、17日のアドミラ・メドリング戦と直近2戦で連続ゴールを決めており、8月11日に行われたSVリートとの前回対戦でも2点をたたき出す活躍を見せたことから、この日も得点への大きな期待が寄せられた。

 ザルツブルクの基本布陣は4−4−2。2列目右サイドが南野の定位置だ。最近は2トップにソリアーノとオメル・ダマリ、2列目左にバロン・ベリシャが陣取り、ナビー・ケイタとベンノ・シュミッツの2人がダブルボランチを組む形が多い。「試合出場を重ねていくごとに周りからボールの来る回数が増えている。自分もどこで(ボールが)欲しいかを要求できるようになった」と南野本人は連係面での劇的な進化を実感しつつ、ピッチに立っている。

勝利にも、異国で戦う厳しさを語る

ポジションはつかんだ現在でも、コミュニケーションの難しさを感じるという 【元川悦子】

 この試合も開始早々、右から相手の背後を突いてフィニッシュに持ち込めそうな場面が2度続けてあった。「ドリブルでゴールへ行こうかと思ったけれど、思ったより速いボールだったし、下も滑る。結果的に2本ともクロスを狙った。自分で行けるところはもっと行ってよかったかもしれない」と彼は大いに悔しがったが、得点への意欲はより一層、高まった。その後、ザルツブルクは前半8分にソリアーノが先制。27分にカウンターから同点に追いつかれたが、32分にケイタが試合を決定づける2点目をもぎ取る。

 決勝点の起点を作ったのが南野だった。ペナルティーエリア内の右サイドをえぐった彼は鋭いクロスをゴール前のソリアーノへ。これはいったんクリアされたが、味方がインターセプト。最終的にはシュミッツとのワンツーからケイタがゴールし、前半を折り返す。後半は相手の粘りにあって苦しんだが、1点を守り切って2−1で勝利。南野自身も後半37分までプレーし、1万人超のサポーターから温かい拍手と「ミナミノコール」を送られた。連続得点こそ途切れたものの、周囲から絶大な信頼を勝ち得ていることが色濃くうかがえた。

「チームの勝利が一番なので、それはうれしく感じますけれど、個人としては攻撃面の物足りなさを感じた。僕としてはもう少し流動的にポジションを変えながらチャンスを作りたいけれど、FWの2人があまり動かないので、自分が中に入るときつい。だから外で待ってチャンスをうかがうしかない。相手との力関係もあって、片方のサイドで崩し切れる試合が多いので勝てていますけれど、もう少し逆サイドを意識して攻めることも必要かなと。そういうことをもっと積極的に言いたいけど、日本語みたいに正確に伝えられへん。ドイツ語のレッスンは週3回やっていますし、来た当初に比べればコミュニケーションはかなり取れるようになりましたけれど、やっぱりまだ難しさはありますよね……」と彼は異国で戦う厳しさをあらためて吐露していた。

環境に適応した半年間

昨季はリーグ連覇を経験したものの、日本との違いに戸惑いもあった 【Bongarts/Getty Images】

 そんな南野が中学時代から慣れ親しんだセレッソ大阪を離れ、オーストリアへ渡ったのは今年1月だった。J2降格に直面した古巣を離れるのはつらい決断だったが、自らの飛躍を期して海外行きを優先した。10チームが4回戦総当たり制でタイトルを争うオーストリア・ブンデスリーガはドイツに比べるとレベルはやや下がると言われるが、海外初挑戦の彼には数多くの驚きがあったという。

「『日本との大きなの違いは1対1の強さとスピード感』だと海外組の人が帰ってくるたびに言っていたけれど、まさにその通りだなと感じました。ボールを奪った瞬間、縦に入るパスの質もこっちはレベルが高い。シュートのうまさと意識の差も感じます。

 加えて、言葉の部分が最初は難しかった。僕は通訳がいなかったので、ピッチ上のことは全部自分でやらないといけなかった。ただ、おかげで監督や仲間との距離が短期間で縮まった。自分のキャラクターを分かってもらうのはすごく大切なこと。最初の半年間は環境適応が一番だったのかな」と南野は冷静に振り返る。

 アドルフ・ヒュッター監督が率いた昨季はリーグ連覇を果たし、彼自身も半年間で13試合出場3得点。新天地の第一歩としては悪くない結果だった。けれども、2シーズン目は外国人選手として真価を問われる年になる。それを本人も強く自覚していた。指揮官も現在のペーター・ツァイドラー監督に代わり、ゼロからのポジション争いが可能となったことから、キャンプから貪欲にアピールを続け、スタメンの座を獲りにいった。

「最初のシーズンは全然シュートを打てなかったんです。こっちの選手はミドルシュートだろうがお構いなしに、(コースが)空いたら迷わず打つ。そういう思い切りのよさが必要になってくると痛感したので、意欲的に取り組みました。キャンプから調子がよかったし、『今季は昨季より絶対に活躍できる』という自信も持てた」と彼自身、2年目への期待感に胸を膨らませていた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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