山本草太「いつか金メダルを取りたい」 フィギュア期待の星が描く五輪への道筋

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日本男子フィギュア界の逸材・山本草太が描く未来図とは!? 【Getty Images】

「平昌五輪には絶対に出たい」。現在15歳の高校1年生である山本草太(愛知みずほ大瑞穂高)はそう言い切る。もともとフィギュアスケートを始めたきっかけも、2006年のトリノ五輪でエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が金メダルを手にする姿を見てから。それ以来、常にこの最高峰の舞台に立つことを目標としてきた。もちろん現在ジュニアが主戦場の山本にとって、その道のりは険しい。ましてや14年ソチ五輪金メダリストの羽生結弦(ANA)をはじめ、有力選手が数多くそろう日本の代表になることは簡単ではないだろう。

 だからこそ山本は今季の世界ジュニア選手権で優勝することにこだわっている。ソチ、バンクーバー五輪に日本代表として出場した男子選手は、町田樹さんを除き全員が同大会を制しているのだ。来季にはシニアに上がって存在をアピールし、その次のシーズンで五輪への切符を勝ち取る。そうしたプランを山本は描いているという。平昌五輪まで約2年4カ月。目標に向かって歩を進めている山本に、過去を振り返ってもらいつつ、未来への展望を聞いた。

金メダルがほしくてスケートを始める

――スケートを始めたきっかけは?

 母がスケートのテレビを見るのが好きで、僕がまだやっていない時期からすごく見ていたらしいんです。それで僕が5歳のころ、母がトリノ五輪の録画を繰り返し見ていて、そうすると僕も見るじゃないですか。そこでプルシェンコ選手の演技を見て、さらには金メダルを持っている映像がすごく格好良かったんです。「僕も金メダルがほしいな」と母に言ったら、スケートを始めることになりました。5歳で教室に入って、しっかりコーチに付いてやり始めたのは6歳です。

――比較的すぐに滑れるようになったのですか?

 そうですね。小さいころからジャンプは他の同い年くらいの子よりポンポン跳べるようになっていったので、すごく楽しかったです。

――ジャンプを跳べるようになったのは始めてからどれくらいでした?

 だいたい小さいころ一番難しいのはシングルアクセルなんですね。確か小学校1年生で練習を始めたのかな。それで1年生後半、2年生くらいには試合で決めるようになっていたので、だいぶ成長したんじゃないかなと思います。

――当時は大阪が拠点で、大西勝敬先生に習っていましたよね。そこでは主にどういった練習をしていたのですか?

 朝練と夜練があったんですけど、大西先生が言うには、朝から急にジャンプするとあまり体に良くないというか、けがをすることも多いから、午前中にスケーティングをいっぱいやれと。それで朝のレッスンはずっとスケーティングで、スピンばかりやっていました(笑)。僕はジャンプが好きなので、自分の中ではつまらなかったんですけど、繰り返しスケーティングをやっていたのが今の自分に生きているんじゃないかなとは思います。

ジャンプに悩み、拠点を名古屋へ

――名古屋に拠点を移したのが12年でした。なぜこちらに来ることになったのですか?

 僕が中学1年生のころですね。中1の夏が終わって、ブロック大会後にこっちへ来たんですけど、夏休み中はずっと調子が悪くて、ジャンプですごく悩んでいたんです。けっこう僕は調子が悪くても、次の日になったら別人のように変わってポンポン跳べるんですけど、そのときは本当に何カ月も跳べない時期が続いて……。そういう中でブロック大会を迎えて、ボロボロの演技をしてしまい、当時ライバルだった山隈太一朗君(ひょうご西宮FSC)にぼろ負けしちゃったんです。すごく悔しくて、それで母とその夜にいろいろ相談して、長久保(裕)先生に教わることを決めました。次の日にはもう名古屋に行って、こちらの先生たちと相談をしていましたね。その当時一番大事な試合だった全日本ノービス選手権が迫っていて、すぐ氷に乗りたかったんですけど、いろいろ準備もあって4日くらいたってから邦和(スポーツランド)で滑ることになりました。

ジャンプに磨きをかけるべく、長久保先生(左)の師事を仰ぐことを決めた 【スポーツナビ】

――長久保先生のことは昔から知っていたのですか?

 顔を見たら「この先生か」と分かるくらいで、当時は名前と顔が一致しない感じでした。ただ、母がすごく詳しいので、「ジャンプで苦労しているなら、長久保先生に教わるのがいいよ」と。それで長久保先生に指導を受けるようになりました。

――大阪でやっていたときと違いはありましたか?

 邦和のリンクで滑っている全員がチームなので、前みたいに個人でレッスンはしてくれなくて、本当に頑張っている人だけレッスンをしてもらえるという感じでした。最初は長久保先生に全然声をかけてもらえなくて、なんでだろうなと思っていたんですけど、徐々に慣れてきて、ちょっとずつレッスンしてもらえるようになりました。でも、最初はやり方が全然違ったのでびっくりしました。

――声をかけてもらえなかったというのは何かあったのですか?

 昔は全然練習しなかったので(苦笑)。1日その種類のジャンプを1回(体を)しめて回れればいいくらいでした。あとはほとんどパンクだったので全然見てもらえなかったです。

――真面目になったきっかけは何かあったのですか?

 一昨シーズンは、練習ではめっちゃきれいにトリプルアクセルを跳んでいたんですけど、全然試合では決まらなくて……。それで鈴木明子さんが「調子が悪かったらとりあえず先生の言うことを聞く」といったことをよく言っていたので、昨シーズンは「先生の言うことを聞こう」と思ったんです。先生からは「調子が悪かったらとりあえずトリプルアクセルでも数をやれよ」と言われたので、そこから失敗するにしろ何にしろたくさん練習するようになりました。

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