実質的五輪代表のJ−22がJ3で敗戦 内容のない町田戦に感じた寂しさ
寂しさを感じるプレーぶり
この試合のみJ−22で指揮を執った手倉森監督は、試合中も観察に徹している様子であった 【写真は共同】
U−22は後半開始と同時にフィールドプレイヤー4名(J3はベンチ入り、交代枠ともに「5」)を一気に投入し、布陣も[4−4−2]から[3−4−2−1]に変更したが、それはいかにも練習試合的な采配だった。お借りした選手に、無理をさせられないという“大人の事情”は無視できないが、「J2に昇格しなくちゃいけないという強い気持ちを持って戦った」(李)という町田とは覚悟に大きな差があった。戦術的にもFW登録は浅野と鈴木優磨の二人だけで、ボールの収まるタイプが不在だった。
ただ、「モチベ―ションが低かった」だけで済ませていいのだろうか? 「スペースを消されて手詰まりになった」というだけで話を終わらせていいのだろうか?
自分がU−22を観ていて強く感じたのは、“プレー”がほとんどなかったこと。能動的なアクションがなく、選手たちは淡々と、無難に90分を過ごそうとしていた。「俺はこれがやりたい」という意思、工夫を感じ取れなかった。
相手が引いていれば確かに単純なドリブル、裏へのボールは効きにくくなる。しかしそこで諦めるなら、それはスポーツマンでない。前後左右で細かくボールを動かして角度を変える、そこに3人目のランニングが呼応するというような“もうひと手間”をかければ、彼らの能力的に打開は不可能でなかったはずだ。攻撃陣だけの問題ではない。もし相手が引いているなら、CBの持ち上がる時間とスペースが生まれる。そうすれば町田の選手はそこに食いつかざるを得ず、他の味方がフリーになっていただろう。
公式戦だから、練習試合だからという問題ではない。それぞれがアイデアを持ち、ピッチで表現し、選手同士が擦り合わせていく……。それは一進一退、試行錯誤の泥臭いプロセスだが、練習も含めてそういう積み重ねが無ければ、チームはチームにならない。この選手たちはそういうプロセスを楽しんでいないのではないか? 仕事として“やらされて”いるのではないか? そういう寂しさを感じるプレーぶりだった。
言うならプレーに没頭する姿勢こそが、フットボーラーにとって一番大切な才能だ。ピッチ上で頭を使えない、意思をプレーで表現できない選手は、このチームから一人二人と消えていくのだろう。リオデジャネイロ五輪の本大会を迎えるころには、間違いなく半分以上が入れ替わっているだろう。町田戦の不甲斐ない彼らを見て、私はそんなことを確信させられた。もちろん、アジア予選という壁を越えられない可能性もあるだろうが、それは考えたくない……。
町田市民、町田担当の記者として、町田がJ2昇格に向けて貴重な勝利を挙げたことは喜ばしい。しかし日本人として、若者たちの今後を憂えざるを得ない、そんな90分間だった。