リスクを冒して攻めを貫いた山中がV9=モレノとのバンタム級頂上決戦制した勝因

船橋真二郎

両者の心理に影響した公開採点

最強挑戦者と言われたアンセルモ・モレノを僅差の判定で下して、9度目の防衛に成功したWBC世界バンタム級王者・山中慎介 【花田裕次郎】

「ヤマナカにも明確に勝ったという意識はないだろうし、私にも明確に負けたという意識はない。非常に均衡していた試合でドローに近かったと思う」
 試合後、敗れたアンセルモ・モレノ(パナマ)の残したコメントが、この日の試合を的確に言い表していたのではないだろうか。

 最終的に115対113で2者が山中慎介(帝拳)を支持し、残りの1者が115対113でモレノと割れた試合の全12ラウンド中、全員がアメリカ人で構成されたジャッジの足並みが揃ったラウンドと、見方が分かれたラウンドはちょうど6ラウンドずつ。さらにジャッジにより、明白に振り分けられたと言える半分の6ラウンドの内訳を見てみても、山中、モレノが3ラウンドずつと、まったくの五分だった。

 ジャッジ泣かせの難しいラウンドが続いたバンタム級の頂上対決。それだけにWBC独自のルールである試合途中の公開採点が両者の心理に影響を与え、展開を動かすことになった。

 一撃必倒の左で“神の左”と称される山中。捉えどころのないディフェンスで“幽霊”の異名を取るモレノ。対照的ながら、それぞれ一級の武器を備える両サウスポーの一戦が拮抗した我慢を強いられる戦いになることは想定の範囲だった。心身いずれかのバランスでも先に乱したほうが、負けに近づくことになる。そんな心理戦――。

4Rは山中優勢で「これは行ける」

右の差し合いが続いた序盤4Rまでは山中の思惑どおりの試合運びだった 【花田裕次郎】

 序盤の4ラウンドはある程度、山中の思いどおりに試合を運べていた。上体をすっくとアップライトに構え、ロングレンジから右のリードブローでタイミングを測り、左を上下に散らして間合いを探る。試合をじっくり進めるなかで少しずつ左をアジャストしていくのは山中のいつものパターンだが、空振りを誘い、打ち終わりを狙うモレノに対しては特に攻め急ぎと深追いは禁物だ。

「(モレノは)眼のディフェンスでかわしているだけではポイントは取れない。どこかで攻めてこないといけなくなるし、そこに生じるスキを突きたい」
 試合前、そう思惑を語っていた山中。緊迫した右の差し合いが続くなかで、山中が「4ラウンドが終わったときは『これは行ける』という感触はあった」と振り返ったように、最初の公開採点は2者が39対37で山中、残りの1者が38対38と、山中のやや優勢と出る。

距離感を狂わせたモレノの妙技

柔らかなボディワークを駆使して、たくみにパンチをかわすモレノの妙技に距離感を狂わされた 【花田裕次郎】

「ヤマナカは他の試合に比べ、それほど左を出さなかったし、私に近づこうとしなかった。左を温存しているようにも感じられた」
 モレノが前に出て、テンポを上げたのは4ラウンド辺りから。おそらく公開採点を聞き、さらに心は固まった。山中が来ないなら、先に仕掛ける。ただしモレノは決してスキをつくらなかった。試合前、モレノは「挑戦者とはいつも貪欲にベルトを獲りにいかなくてはならない。クレバーに立ちまわり、ベルトを獲りたい」と話していたが、その貪欲さとクレバーさのバランスを崩すことはなかった。攻めどころ、守りどころを絶妙に押し引きし、山中に的を絞らせなかった。

「想像どおり、モレノは攻め崩すには難しい相手でした」
 スタンスを広く、思いきり半身に構えて懐の深さをつくる。柔らかなボディワークを駆使して、たくみにパンチをかわす、殺す。かわしてリターンを返す。試合前から全部分かっていたことだが、「打たれない意味がわかった」と、実地にその妙技を味わった山中。攻防のそれぞれの場面で細部に気を配り、微妙に頭の位置を変える、上体をくねらせる、ガードの位置をずらす。そのすべてが距離感を狂わせ、「見た目以上に(指で間隔を示して)これくらい遠かった」と実感を込めて振り返った。

山中が腹をくくった8Rの公開採点

9Rにはカウンターの右フックをもらってグラつく場面も… 【花田裕次郎】

 左は温存していたわけではない。まずは左をボディ、ガードの上など、体のどこかにでも当てて強打を印象づけ、モレノの心理を揺さぶるのは事前の対策のひとつだった。だが「ほとんど顔色を変えなかった」と、ますます左を出しづらくなり、逆に細かなパンチを当てられ、WBA王座を昨年9月まで6年にわたって12度防衛したキャリアを見せつけられた。
「先手を取られたせいか、自分のリズムが止まってしまった」
 そう自覚していた8ラウンドまでの中盤4ラウンドを終え、公開された採点は2者が76対76、1者が77対75でモレノと、挽回を許していた。

 山中が公開採点でやや後れを取ったことがあるのは、モレノに劣らぬビッグネーム、ビック・ダルチニャン(オーストラリア)との初防衛戦の4ラウンド終了時以来。8ラウンド終了時では初めてのことだった。
「もう気持ちでいくしかない」
 腹をくくった山中はリスクを冒し、心も体も前がかりに攻めた。9ラウンドには左の交錯から返しの右フックをカウンターで浴び、ヒザを揺らして後退。逆にビハインドが広がるが、もはや残された道はひとつしかなかった。

涙を流すファンに思わずもらい泣き

苦境が続く中、10Rには“神の左”をヒットさせ、劣勢を挽回した 【花田裕次郎】

「強引にいくことで、やっと(モレノが)頭を下げるタイミングがわかり、左を打ち下ろしたイメージ」
 苦境の中で迎えた10ラウンドに左をクリーンヒットし、返しの右フックもフォローして、モレノの腰を落とした。ぎりぎりのやり取りの末に奪った一発が勝敗の分かれ目だった。以降のモレノはクリンチで逃げる場面が増え、とにかく攻勢をアピールし続ける山中に対し、見映えが悪かった。11ラウンドにはスリップで尻餅をつき、山中にも一瞬、ヒヤリとする場面はあったが、最後まで攻めの姿勢を貫き、「気持ちで印象づけた勝利」(山中)を勝ち取った。

「効果的なパンチは10ラウンドくらいしかなかったかもしれない。自分の力がまだ足りなかったというか、もう少し差を見せるつもりやったので悔しさもありますけど、実際にモレノの力を感じたし、感じたからこそ、僅差の2−1でも、勝ててホッとしたし、喜べたと思う」
 実は控え室に戻ってくる山中の目は真っ赤だった。花道を引きあげる際、涙を流して勝利を喜ぶファンの姿を目にし、思わず「もらい泣きしてしまった」のだという。それだけ苦しい勝利だった。

悔しさ残るモレノ戦は今後の財産

海外進出、王座統一戦を狙う山中にとって、このモレノ戦が今後への大きな財産となるのは間違いない 【花田裕次郎】

 試合内容うんぬんより、あらためて山中の勇気を称えたいと思う。そもそもモレノは対戦を義務づけられた指名挑戦者でもなく、「強い相手とやりたい」という山中の願いに応える形で対戦が実現したもの。敢えてモレノという難解なパズルに対し、リスクを恐れずに挑み、ついに最後まで答えを探し出すことはできなかったかもしれないが、だからこそ、体で感じた課題や悔しさは財産となるはずである。

 山中はこれでWBC世界バンタム級王座を9連続防衛。11月には王者在位期間が丸4年を迎える。だが、山中の視線はもちろん数字などには向けられていない。海外進出、王座統一戦……強豪との対戦を常に願い、真の王者の証明を切望する。
「頂上決戦というわりに、内容的には満足できるものではなかったと思いますけど、勝ったのでまた次がある。期待しといてください」
 難敵相手の苦闘を乗り越えたこの日の経験は、山中の次に必ず生きてくる。
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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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