プロ注目右腕・森下暢仁の秘めた強さ 未完の逸材は侍U-18代表で成長する
甲子園経験のない唯一のメンバー
甲子園出場は逃したが、プロのスカウトから高い評価を受ける森下。今秋のドラフト1位候補と見られる逸材だ 【Getty Images】
「いや、でも、あまり意識してないんで」
そう言った森下は照れ笑いを浮かべると、試合について言葉を続けた。
「結果、こういうピッチングができたので、良かったと思います」
初の世界一を懸けてU−18ワールドカップに臨んでいる日本代表20選手の中で唯一、森下は今年の春夏の甲子園に出場していない。それでもメンバーに選ばれていることが、逆説的にこの右腕の評価を物語っている。実際、大会初戦のブラジル戦で1イニングを3人で抑えると、先発を任された31日のチェコ戦では7イニングを無失点に封じ込めた(7回コールド勝利)。
最速148キロを誇る森下は、今秋のドラフトで1位候補と見られている逸材だ。カットボールとスライダー、カーブを持ち球とし、制球力や肘を柔らかく使える投げ方、そして伸びしろの大きさが評価されている。
スポーツ紙の「投手歴1年弱」は誤報
東海大相模戦での快投は、その後、某スポーツ新聞が「本格的な投手歴は1年弱」と逸材ぶりを強調したほどのインパクトだった。
だが、これは“誤報”である。
「小学校ではずっとピッチャーをしていて、中学校では1年間投げてないんですけど、肘を痛めてしまって。それで野手をやっていて、そのまま高校に上がって。肘はだいぶ治っていたけど、他にもピッチャーがいたので、野手でもいいかなという感じで入って。監督に『投げてみろ』と言われて高校1年ではピッチャーをしていたんですけど、2年では野手として試合に出させてもらって。3年はほとんどピッチャーという形になって、それで『1年弱』と書かれました」
森下がプロを意識するようになったのは、高校2年秋のことだ。1学年上の笠谷俊介が福岡ソフトバンクにドラフト4位で指名されて、「自分もプロに行けるのかなと思い始めました」。
投手に復帰した森下はプロから品定めされるようになっていくが、彼自身は「いつの間にか時間が経っていたので」と振り返る。
無我夢中で練習を重ねたが、甲子園に出場することはできなかった。最後の夏の大分大会では決勝で被安打6に抑えながら、0対1で明豊に敗れている。
「勝負どころでの球が甘くなったりすることがあって、それで1点取られたので。大会後、そういうところを反省しました」
日本代表に選ばれていることからも分かるように、森下の実力は疑いようがない。だが、その力を果たして大舞台で発揮することはできるだろうか。
甲子園“初登板”を経て豪華メンバーの一員に
「大学生とやったときには初めての甲子園で、本人も『緊張した』と言っていました」
そう話した西谷浩一監督(大阪桐蔭)だが、時間が経つにつれて森下の変化を感じていた。そこで、チェコ戦の先発に抜てきする。
「だいぶ場慣れもしてきて、力が出てきたんじゃないかなと思います。今日は5回くらいまで行って、ピッチャーを後につなごうと思っていたんですけど、良い状態になってきたのでそのまま行きました」
森下は今回の日本代表に合流した直後、チームメイトとなじむまでに時間がかかったという。しかし数日が経ち、豪華メンバーの「一員」になることができた。その様子は、チェコ戦後の次のコメントによく表れている。
「(代表に選ばれたのは)九州からひとりですし。その中で甲子園メンバーというか、テレビの中にいたメンバーとやれて光栄に思います。自分ももっと成長できる場所だな、と」
チェコ戦では序盤、身体が前に突っ込みすぎたために、持ち味の制球が安定しなかった。フォームを乱したのは、1回表の攻撃で5点のリードをもらったがゆえだった。
「点を取ってもらって楽な気持ちでマウンドに上がることができたんですけど、投げ急いでしまうというか、たぶん『早く3人で終わらせないと』という意識があって。それでフォームとかが前に突っ込んだりしていたので」
3回まではすべて得点圏に走者を背負ったが、4回以降は12人の打者から8個の三振を奪い、無安打に封じ込めた。調子を取り戻すことができたのは、イニング間にブルペンに行き、フォームを修正したからだ。
「キャッチボールしながら、『なんか今日、指に引っかかるな』という部分があったので。お尻からそのまま流れていたような感じで、腕も振れているのか、振れていないのかという感じだったんですけど。それをちょっとためるだけで、腕もうまくついてきてくれて、良い球が行くようになりました」