中国人ファイナリスト・蘇の偉業 ボルトと並走した9秒台の世界観

高野祐太

蘇を変えた「はさみ込み動作」

9秒台を手にいれた蘇はファイナリストとなった 【写真:ロイター/アフロ】

 2015年夏、こうして蘇は地元で一気にスターダムをかけ上がってしまった。では、蘇を10秒台の選手から「9秒台スプリンター」に押し上げたものとは何だったのか。

 中国の関係者によると、一つには、スタートでの脚の位置を今季になって変えたという。蘇はスタートから体を起こす際に体が揺れる面があったが、左脚を後ろから前にしたことで、揺れが減ってスタートが安定して来たという。

 そして、もっと大事なことはここからだ。蘇は元々、173センチの身長を補うように、発達した筋肉の爆発力で勝負するタイプ。技術面では改良の余地があったが、そこに進展がみられるのだ。

 地道な努力の積み重ねが、今、花開いている。数年前から冬季に米国のクラブで指導をあおいでおり、より合理的な動作を学んできた。その結果、生まれているのが、より正確な「はさみ込み動作」だ。これは脚の裏が地面に付いた接地の瞬間に逆の脚が追い抜くほどに、早くも前に切り返されているという動作に該当する。

 詳細は別の機会にするが、これができるということは、短距離走を速く走るためのいくつもの技術的な要素ができていることの証となる。例えば、地面を蹴って離れようとする段階になっても「ひざが伸び切らない」技術とも関連する。ひざが伸び切らなければ、無駄な方向にエネルギーを浪費することなく、いち早く次の切り替えしに移行できることになる。専門家によると、それが「加速局面以外では、ほぼ完ぺきになってきた」という。
 これを二つ目とすると、三つ目は強みのフィジカルをさらに強化していること。これもここ3年ほどの地道な努力のたまものだ。

フィジカルトレーニングのプログラム

3年ほど前から蘇は錦織圭と同じ米国のIMGアカデミーでフィジカルトレーニングのプログラムを受けているという 【写真:USA TODAY Sports/アフロ】

 蘇は3年ほど前から、米国フロリダのIMGアカデミーでフィジカルトレーニングのプログラムを受けているという。IMGアカデミーは、テニスのトッププロ選手の育成で世界的に有名で、実力と美貌を兼ね備えたマリア・シャラポワ(ロシア)が世界1位にまで上り詰められたのも、ロシアの片田舎からここにやって来たからだった。

 最近では、昨年の全米オープンで準優勝し、世界ランク4位にまで来た錦織圭(日清食品)の例が顕著だ。錦織はIMGで技術を極めると同時に、フィジカル面も徹底して鍛え上げている。身長178センチに過ぎない彼が驚異的な成績を残せているのは、フィジカルの充実によるところが大きいのだ。

 そんなアカデミーでの質の高いフィジカルメニューをこなすことで、蘇は地力を一歩前進させた。面白いことに、フィジカルの進化は技術も自動的に進化させる場合がある。ある専門家の指摘はこうだ。

「身体能力が高まりに高まったときには、体が走る動作のバランスを取ろうとして、自然と技術も高まる現象が起こることがある」

 蘇の快進撃の場合も、これに該当する要素が含まれている可能性がある。
 これら、特に二つ目と三つ目は「10秒の壁」を突破するために必要な要素となる。その道程に乗った蘇は、今後も進化をとげるに違いない。

日本勢が見習うべきこと

朝原氏は日本勢の今後について「的確な方向性を打ち出して継続することで、前は開ける」と語った 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 一方で、先を越された日本勢も、これを刺激に上を目指さなければならない。切磋琢磨(せっさたくま)こそが進化の原動力だ。蘇も張も「日本をお手本に頑張って来た」と語っている。
 そして、北京五輪銅メダリストの朝原宣治さんの言葉には、今後の巻き返しの手がかりが提示されている。
「蘇選手は、やるべきことを継続したことでここまできました。日本選手もそれにならい、的確な方向性を打ち出して継続することで、前は開けるはずです」

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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