涙を流した旭天鵬、泣かなかった若の里 去りゆく同期の2人が貫いた相撲哲学

荒井太郎

互いに励まし合った“レジェンド”

涙を流した千秋楽とは一変、晴れやかな表情で引退会見に臨んだ旭天鵬。今後は年寄「大島」を襲名して後進の指導にあたる 【写真は共同】

 取組後の支度部屋では勝敗にかかわらず、旭天鵬の周りにはいつも報道陣の大きな輪ができていた。温厚な性格で負けた時ですらしっかり前を見据え、ハキハキと談話するその声はよく通り、輪の後ろの方にいても十分に聞き取ることができた。それが7月場所終盤あたりから異変があった。輪の中心にいる40歳の男は終始、下を向いたまま、声は消え入りそうだった。

 誰からも愛された角界の“レジェンド”にも、長い土俵生活にピリオドを打つ瞬間が刻一刻と迫っていた。幕内土俵入り前には毎日、もう1人の“レジェンド”と握手をして一言二言、会話を交わし、お互いを励まし合う光景があった。

「不思議な縁だよね」

 同じ23年前の3月場所で初土俵を踏んだ若の里についてそう話す。同期生で39歳の元関脇もまた、この場所は十両で現役生活の崖っぷちに立たされていた。現役バリバリの20代のころは会っても会話らしい会話はほとんどしてこなかった。話す仲になったのは三十路の大台を過ぎてからだという。旭天鵬は言う。

「30代になってからすごく気にするようになった。連絡先も交換して『食事にでも行こうか』ってなった。まだ行ってないけどね。俺は彼から力をもらっているよ。向こうも俺より先に辞めたくないって言っていたよ(笑)」

 千秋楽、旭天鵬は栃ノ心に力なく敗れ、現役最後の相撲を取り終えた。その約2時間半前には若の里が天鎧鵬に対し、右四つ、左上手を引きつける本来なら十分の体勢ながら、攻め切れずに力尽きた。西十両11枚目で4勝11敗。来場所の幕下への陥落が確実となり「気持ちの整理がつかない」と語るも「幕下で取るつもりはない」と引退をほのめかした。

十両陥落で引退を決めた旭天鵬

 くしくも同時に土俵を去ろうとしている2人の“レジェンド”だが、その生きざまは見事なまでに対照的だ。幕内の座にこだわった旭天鵬は、目標にしていた幕内通算在位100場所にはあと1場所足りなかった。十両から再チャレンジすれば、おそらく大台達成も可能だったであろうが、本人の中に初めからその選択肢はなかった。

「十両も立派な関取だけど、やっぱり幕内はお客さんの声援が違うし何とも言えない快感がある。モンゴルで中継されるのも幕内だけだから」と幕内を維持できなくなった時点で引退は常々、公言していたことだった。

 一方の若の里もかつては大関候補の常連だっただけに、当初は十両で相撲を取ることに抵抗を感じていた。翻意したのは関取の夢破れ角界を去ったある力士OBに懇願されたのがきっかけだった。

「十両に落ちたら取らないなんて、夢が叶わなかった人に失礼だなと。入門したときの気持ちを思い出して、十両でも堂々と取るべきじゃないのか」

 以来、体に9回もメスを入れながら、ボロボロになるまで土俵に上がり続けた。対する旭天鵬はケガの少ない力士だった。日々の鍛錬の賜物であると同時に土俵際で無理をしなかったからこそ、“不惑”を超えてもなお幕内でいられたのは間違いない。

1/2ページ

著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント