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猪木ブロンズ像を作り続けてきた男の原点
「猪木は最高の男よ!いい男に惚れた」

習ったのは1回だけの天才!?

熊本で40年近く猪木ブロンズ像を作り続けてきた村田さん。その原点に迫る
熊本で40年近く猪木ブロンズ像を作り続けてきた村田さん。その原点に迫る【長谷川亮】

 かつて毎号のようにプロレス雑誌の広告を飾り、プロレス少年垂涎のアイテムであったアントニオ猪木ブロンズ像。“いつか大人になったら買ってやる”――そんな思いを胸にしたまま時は流れ、いつしかブロンズ像は広告から姿を消していた。しかし、少年の日の夢は消えず。猪木像の制作を直訴し、今も熊本市内で「ビアホールMAN」を経営しながらブロンズ像を作り続ける村田善則さんを訪ねた。


「一番最初は昭和47(1972)年の終わりに、力道山やボディビルダーのブロンズ像を店に飾っていたから熊本のプロモーターと藤波(辰爾)が『新日本をよろしくお願いします』って挨拶に来て、それが新日本とのお付き合いの最初。藤波が18歳だったなぁ。それで48年に熊本で最初の興行をして、その夜に藤波が猪木・坂口(征二)・山本小鉄を連れてきてくれて。それからもう40年以上、熊本へ来るたび来てくれてます」


 そう語る村田さんは昭和9(1924)年生まれの現在81歳。ブロンズ像を作るようになったいきさつは次のように言う。


「従兄弟が能面を作る能面師で、作業場へ行ってみたらブロンズ像がいっぱい置いてあったのよ。それで自信があったから『俺はこれぐらいは作れるぞ』って言ったら、『じゃあ作ってごらん』って従兄弟が粘土をくれたの。それで俺はボディビルダーを作って、持って行ったら従兄弟が『すごい』と。それで粘土をシリコンのゴムで包んで、石膏でっていう作り方を教えてくれて。だから習ったのはその1回だけ。俺は天才だな(笑)」

きっかけは小学校のイジメ

81歳の現在も村田さんは自身で経営する「ビアホールMAN」で厨房に立ち、腕を振るっている
81歳の現在も村田さんは自身で経営する「ビアホールMAN」で厨房に立ち、腕を振るっている【長谷川亮】

 今では依頼を受け、文化人の銅像なども制作するようになった村田さんだが、多く作品のモチーフとするのは“強い男”。その原点は幼少期の体験にある。


「小学校5年の時に戦争がひどくなって、空襲があるから田舎の学校に転向したんだけど、そこでものすごくイジメられたんよ。それで男は強くなければならんと。中学の時はケンカの強い人のところへ行って『すいません、ケンカしてください』って言って、毎日打たれて帰った(笑)。でも中学3年からボクシングを始めて、そのうち『こんなのもあるんだ』ってプロレスにのめり込んで、だからイジメが俺の原点で、それで強い男に憧れた」


 81歳の現在も「ビアホールMAN」の厨房に立ち腕を振るう村田さんだが、その元気の源もやはり強さへの憧れにあるという。


「いまだに強さに憧れてるし、強い男を作りたい。強さへの憧れっていうのは俺は死ぬまでだと思う。もう俺をイジメる人はおらんけど、今でもイジメられたらアカン、頑張らにゃと思ってバーベルを上げる。普通の人はこういうことは歳を取ったら考えんし、どうでもよくなるけど、俺はまだ家にバーベルとベンチを置いている。アホやなと思う(笑)」

“強い男”っていうのは本当は優しい

強さの憧れからいまだにバーベルなので体を鍛えている村田さん。子供に接する猪木を見て「“強い男”っていうのは本当は優しい」ことに気付いたという
強さの憧れからいまだにバーベルなので体を鍛えている村田さん。子供に接する猪木を見て「“強い男”っていうのは本当は優しい」ことに気付いたという【長谷川亮】

 新日勢との交流が始まり、猪木ブロンズ像を作るようになったのは昭和54(1979)年ごろだったと村田さんは記憶する。来店し飾られているブロンズ像を見て、「マスター、猪木さんを作ったらどうですか」と坂口征二に勧められたのがきっかけだった。


「猪木さんが一番作って、2000以上は作ってると思う。一番最初に店へ来た時、お客さんも子どもも集まって、周りの人は『猪木さんは食事中だから』って言ったんだけど、猪木はクルっと後ろを向いて『いいよ』って子どもたち全員にサインをしてくれた。あれだけ試合中は相手を殺すぐらいに激しい男が、こういうところに来た時は子どもたちに優しかった。その時に“強い男っていうのは本当は優しいんだな”って初めて思って、それから俺も優しくなったんだ(笑)」


 猪木に対し村田さんは「惚れた」という言葉を使う。そして「今でも惚れている」とも。


「猪木は最高の男よ。人間としても最高だし、男としても最高だし。俺はいい男に惚れたなって思う」

今でも絶えない猪木像のリクエスト

猪木ブロンズ像を2000体以上作り続けてきた村田さん。今でも30代後半から40代のお客さんから猪木ブロンズ像のリクエストは絶えないという
猪木ブロンズ像を2000体以上作り続けてきた村田さん。今でも30代後半から40代のお客さんから猪木ブロンズ像のリクエストは絶えないという【長谷川亮】

 そんな思いで村田さんは今も猪木像を作り続ける。そして今回お願いしたように、今も猪木像を作ってほしいというリクエストが絶えないのだという。


「小さい時欲しかったけど買えんかったって。30代後半から40代まで、みなさんそうです。しかし猪木さんってスゴいな。みんなそのころ欲しいって思ったんやなぁ。(ブロンズ像は)注文があればいつでも作ります」


 ブロンズ像の販売は「MANスポーツ」。「ビアホールMAN」ともども、どちらも「MAN=男」を冠している。


「やっぱり男は強くなければ。ただ、相手に迷惑掛けるような強さじゃイカンし、本当に強い男っていうのは優しさがある。俺もまだまだトレーニングせんと。いまだに強さに憧れてるし、強くなりたい」


 取材を終え渡してもらった猪木像には、村田さんが最後に掛けた「頑張って、強くなってね」という言葉もともに込められている気がした。

長谷川亮
病弱だった幼少期にプロレスファンとなり、格闘技ファンを経て2002年に格闘技雑誌編集部入りし、2005年からフリーライターに。スポーツナビにはその頃から執筆。病床で何度も読み返したため「プロレススーパースター列伝」は大体暗記。趣味は下手の横好きでキックボクシングとブラジリアン柔術。