猪木は最高の男よ!いい男に惚れた〜猪木ブロンズ像を作り続けてきた男の原点
習ったのは1回だけの天才!?
「一番最初は昭和47(1972)年の終わりに、力道山やボディビルダーのブロンズ像を店に飾っていたから熊本のプロモーターと藤波(辰爾)が『新日本をよろしくお願いします』って挨拶に来て、それが新日本とのお付き合いの最初。藤波が18歳だったなぁ。それで48年に熊本で最初の興行をして、その夜に藤波が猪木・坂口(征二)・山本小鉄を連れてきてくれて。それからもう40年以上、熊本へ来るたび来てくれてます」
そう語る村田さんは昭和9(1924)年生まれの現在81歳。ブロンズ像を作るようになったいきさつは次のように言う。
「従兄弟が能面を作る能面師で、作業場へ行ってみたらブロンズ像がいっぱい置いてあったのよ。それで自信があったから『俺はこれぐらいは作れるぞ』って言ったら、『じゃあ作ってごらん』って従兄弟が粘土をくれたの。それで俺はボディビルダーを作って、持って行ったら従兄弟が『すごい』と。それで粘土をシリコンのゴムで包んで、石膏でっていう作り方を教えてくれて。だから習ったのはその1回だけ。俺は天才だな(笑)」
きっかけは小学校のイジメ
「小学校5年の時に戦争がひどくなって、空襲があるから田舎の学校に転向したんだけど、そこでものすごくイジメられたんよ。それで男は強くなければならんと。中学の時はケンカの強い人のところへ行って『すいません、ケンカしてください』って言って、毎日打たれて帰った(笑)。でも中学3年からボクシングを始めて、そのうち『こんなのもあるんだ』ってプロレスにのめり込んで、だからイジメが俺の原点で、それで強い男に憧れた」
81歳の現在も「ビアホールMAN」の厨房に立ち腕を振るう村田さんだが、その元気の源もやはり強さへの憧れにあるという。
「いまだに強さに憧れてるし、強い男を作りたい。強さへの憧れっていうのは俺は死ぬまでだと思う。もう俺をイジメる人はおらんけど、今でもイジメられたらアカン、頑張らにゃと思ってバーベルを上げる。普通の人はこういうことは歳を取ったら考えんし、どうでもよくなるけど、俺はまだ家にバーベルとベンチを置いている。アホやなと思う(笑)」
“強い男”っていうのは本当は優しい
「猪木さんが一番作って、2000以上は作ってると思う。一番最初に店へ来た時、お客さんも子どもも集まって、周りの人は『猪木さんは食事中だから』って言ったんだけど、猪木はクルっと後ろを向いて『いいよ』って子どもたち全員にサインをしてくれた。あれだけ試合中は相手を殺すぐらいに激しい男が、こういうところに来た時は子どもたちに優しかった。その時に“強い男っていうのは本当は優しいんだな”って初めて思って、それから俺も優しくなったんだ(笑)」
猪木に対し村田さんは「惚れた」という言葉を使う。そして「今でも惚れている」とも。
「猪木は最高の男よ。人間としても最高だし、男としても最高だし。俺はいい男に惚れたなって思う」
今でも絶えない猪木像のリクエスト
「小さい時欲しかったけど買えんかったって。30代後半から40代まで、みなさんそうです。しかし猪木さんってスゴいな。みんなそのころ欲しいって思ったんやなぁ。(ブロンズ像は)注文があればいつでも作ります」
ブロンズ像の販売は「MANスポーツ」。「ビアホールMAN」ともども、どちらも「MAN=男」を冠している。
「やっぱり男は強くなければ。ただ、相手に迷惑掛けるような強さじゃイカンし、本当に強い男っていうのは優しさがある。俺もまだまだトレーニングせんと。いまだに強さに憧れてるし、強くなりたい」
取材を終え渡してもらった猪木像には、村田さんが最後に掛けた「頑張って、強くなってね」という言葉もともに込められている気がした。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ