前に進む―復活・寺原隼人が下した決断=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

高まる寺原の存在感

ここまで無傷の4勝と好調の寺原。本人は「まだまだ」と気を緩めない 【写真は共同】

 福岡ソフトバンクホークスが独走態勢を固めつつある。「得意」の交流戦を12球団最高勝率(6割6分7厘、12勝6敗)で戦い抜いた。その時点ではリーグ2位だったが、リーグ戦再開最初のカードで北海道日本ハムに3連勝。逆に2.5ゲーム差をつけて1位に浮上した(6月25日時点で、2位・日本ハムに3ゲーム差)。

 その2戦目、6月20日に先発し7回5安打1失点と好投。今季無傷の4連勝を飾り、防御率1.95の好成績をマークしているのが寺原隼人である。

 先ごろまでソフトバンクは開幕から先発ローテの顔ぶれが大きく変わることなく戦っていた。だが、6月13日に今季開幕投手の攝津正が1軍登録を抹消。加えて、ここまで5勝を挙げている大隣憲司も左肘の不調が報じられ、前半戦中の登板が微妙となっており、寺原の存在感がより高まっている。

「まだまだですよ。とにかく勝つ。それだけしか考えていません」

 笑顔を見せながら現在の好調は喜びつつも、気持ちを緩めようとしない姿勢が伝わってくる。

「自分の中で、去年投げられなかった悔しさがありますから」

「全治」は難しい膝の故障

 日南学園高時代に甲子園で157キロの豪速球を投げ、2001年ドラフトでは4球団が競合。福岡ダイエーホークス(当時)に1位入団してから今季がもう14年目のシーズンになる。

 07年には横浜ベイスターズ(現DeNA)にトレード移籍し、また交換トレードで11年からオリックス・バファローズでプレー。FA権を行使して13年シーズンから7年ぶりに古巣ソフトバンクに帰ってきた。だが、2年間でわずか5勝と期待に応えられなかった。特に昨季は5試合に登板して1勝4敗。4月30日の登板を最後に、1軍から姿を消した。

 昨年は開幕前から軸足である右膝に痛みを抱えたまま投げていた。当然、思うような投球はできない。FAで入団したにもかかわらず、復帰1年目に何もできなかったもどかしさ、そして自分の意地もあった。だが、限界だったのだ。

 膝の故障は厄介だ。大きな体を支え、複雑な動きをする分、完治が難しいとされる。かつては清原和博氏(元西武、巨人など)や松井秀喜氏(元巨人、ヤンキースなど)も最後は膝を痛めて引退したし、昨年のプロ野球では稲葉篤紀氏(元日本ハムなど)や里崎智也氏(元千葉ロッテ)もやはり膝の故障がユニホームを脱ぐ要因の1つになった。

 寺原は昨年5月27日、右膝軟骨損傷による内視鏡下デブリードマン手術を受けた。球団発表では全治4〜5カ月。しかし、本当の意味での「全治」は難しい。医者からもそのように説明を受けたという。

「手術をしたから完全に治る、というものではないと聞いていました。もしかしたら痛みもそのまま残るかもしれない。それも受け入れた上で決断しました。だって、手術を受けなければ治ることはない。そうなれば、もう投げられないわけですから。もし、進むも止まるも地獄だったとしても、僕は前に進むことを選んだんです」

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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