和田一浩の類を見ない“遅咲き”
2000安打の9割が30歳以降

史上最年長での2000本安打達成

2000安打を達成し、握手する和田(左)と谷繁監督兼選手
2000安打を達成し、握手する和田(左)と谷繁監督兼選手【写真は共同】

 “足踏み”などしなかった。


残り2本で迎えた6月11日、QVCマリン。初回2死満塁の第1打席で三遊間を破るタイムリーを放って王手をかけると、2回2死1塁の第2打席で、ロッテ・植松優友のカウント1−1からのストレートを鮮やかにレフト線へ。プロ19年目の中日・和田一浩が、自身1903試合目で、史上45人目となる通算2000本安打を達成した。


「まさかこの数字に到達できるとはプロに入った頃には思っていなかった。そういう意味では、よくここまで来れたかなと思います」


 一塁ベース上で遠慮気味に笑顔をのぞかせた。花束を受け取ると、ファンに声援に対してヘルメットを取り、何度も頭を下げた。42歳11カ月での2000本達成は、谷繁元信(中日)の42歳5カ月を更新する史上最年長記録。


「そんなに喜ばしいことではないと思うんですけど」と苦笑いも、「自分のペースというか、自分なりに精一杯やって来れた」と胸を張った。

厳しい練習に付いていける身体の強さ

【ベースボール・タイムズ】

 稀(まれ)に見る“遅咲き”だ。県立岐阜商高2年時に甲子園に出場するも、控え捕手の立場。正捕手となった3年時には県大会で涙をのんだ。その後、東北福祉大で4年間、神戸製鋼で2年間、地道に腕を磨いた。そして、西武からドラフト4位指名を受けてプロ入りしたのが、24歳の時だった。


「今と風貌もあまり変わらず、えらく老けた新人が入ってきたなという印象でしたよ(笑)」


 西武時代にチームメートだった鈴木健氏は、3学年下の“後輩”和田が入団した当時のことを懐かしそうに振り返る。


 だが、入団後もすぐには花開かない。当初の捕手、2年目からは外野手にも挑戦するも、レギュラーへの壁は厚く、プロ5年目までの「20代シーズン」で放ったヒットは149本。30歳となった2002年に、ようやく初の規定打席到達となった。その類まれな“晩成ぶり”の理由を、鈴木氏は「強さ」だと解説する。


「バッティングは粗削りでしたけど、最初から身体の強さを感じましたね。そして練習量が多かった。特に佐々木恭介さんが打撃コーチになった時(01年)に、強化指定選手みたいに、よくバットを振らされていましたね。ロングティーなんかも最後まで残ってやっていた。ホント、よだれを流して血尿を出しながらでしたからね。でも、彼にはそういう厳しい練習についていける強さがあった」


 厳酷苛烈な猛練習を経て、豪快にして独特な打撃を身につけると、そこから快進撃が始まる。30歳となった02年に140安打、翌03年には162本で打率3割4分6厘。33歳となった05年には153安打、打率3割2分2厘で最多安打と首位打者のタイトルを獲得した。さらに、35歳で中日にFA移籍してからも勢いは止まらず、10年には38歳にして自己最多の171安打をマークし、リーグMVPと最高出塁率のタイトルも獲得。02年から11年までの「30代シーズン」で、計1470本のヒット(1シーズン平均147本)を放った。

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