日本人と縁あるCL決勝のスタジアム オリンピア・シュタディオンが紡いだ歴史
ヒトラーの指示のもと建築
CL決勝が行われるオリンピア・シュタディオン。このスタジアムにはドイツの歴史が刻まれている 【Bongarts/Getty Images】
オリンピア・シュタディオンと言えば、2006年のワールドカップ(W杯)・ドイツ大会の開催地となり計6試合が行われている。イタリア代表がPK戦の末、フランス代表を倒し4度目の栄冠に輝いた決勝戦の舞台にもなった。この決勝は、延長後半、フランスのMFジネディーヌ・ジダンが、イタリアのDFマルコ・マテラッツィへ頭突きをし、退場になったことで覚えている方も多いだろう。
実は、このスタジアムはW杯のために建てられたものではなく、もともとアドルフ・ヒトラーの指示のもと、1936年のベルリン五輪のために建築された。階段で囲まれた楕円形の様式は、古代のオリンピック競技場を模したもので、マラソン競技の選手が通過するための「マラソンの門」も作られた。また聖火リレーが初めて行われたのもこの大会だった。もちろん、サッカー競技の決勝はもちろんこのスタジアムで開催され、イタリア王国(当時)が、欧州最強の呼び声高かったオーストリアを2−1で破って優勝している。
しかし1938年になるとスタジアムには、防空壕と地下道が作られ、軍事兵器の製作所となった。そのため第2次世界大戦の終戦間際には、ソビエト連邦に一時占領され、その後、連合軍に接収された。そして1949年になって、ナチス政権の過ちを忘れないための記念碑として、重要文化財の指定を受けて西ベルリンに返還された。
ヘルタ・ベルリンの日本人選手
オリンピア・シュタディオンを本拠地とするヘルタには現在も細貝(写真)と原口が所属。過去には奥寺氏も在籍するなど日本人選手と縁がある 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】
2006年のW杯に向けて、このスタジアムも選出されたが、老朽化が進んでいたため2000年に改修されることになった。しかし、重要文化財に指定されており、外観と基礎を残す必要があったため、あえて陸上トラックを残し、その欠点を補うために、ピッチ全体を2.5メートル掘り下げて見やすさを確保。また、スタジアムの外観を損ねないよう観客席全体を覆う屋根の設置にも気を遣い、20本の細い支柱で支えることになった。
結局、改修には4年の歳月と、250ミリオンユーロ(約350億円)の費用がかかったという。ちなみに、このスタジアムの特徴の一つでもあるが、ゴール裏の屋根に一部分だけ開いている部分がある。それが「マラソンの門」と聖火台がある場所である。特に改修に手間と費用がかかったという門の上部には、ベルリン五輪の金メダリストの名前が刻まれており、水泳の200メートル平泳ぎで金メダルを取った日本人の故・前畑秀子選手の名前もある。
他にもオリンピア・シュタディオンは2009年には世界陸上選手権、2011年には女子W杯のドイツ対カナダの開幕戦、そして今回のCL決勝などドイツのサッカー、そしてスポーツシーンにとって重要なスタジアムであり続けている。と同時に、全国リーグであるブンデスリーガが始まった1963年以来、首都のチームとして人気の高いヘルタ・ベルリンのホームスタジアムにもなっている。
1892年に誕生し、「老婦人」の愛称を持つヘルタと言えば、奥寺康彦氏がプレーしたことで知られる。奥寺氏は1977年にケルンに移籍。1980年には指揮官のへネス・ヴァイスヴァイラーが他クラブの監督となると、当時2部だったヘルタに加入した。1部昇格こそ逃したものの、ヘルタでの活躍がオットー・レーハーゲル監督に認められ、奥寺氏はヴェルダー・ブレーメンに移籍した。
2013年の夏には、奥寺氏以来の日本人選手としてレバークーゼンからMF細貝萌が加入。ボランチとしてレギュラーに定着した。さらに翌年には浦和レッズからFW原口元気が移籍し、現在は2人の日本人選手がヘルタでプレーしている。