田中恒成を世界王者に導いた“引き出し”=数々の重圧はねのけての国内最短記録

船橋真二郎

タフな一戦を制して「安堵感しかない」

国内最短記録となる5戦目で世界王座奪取を果たした田中恒成 【写真は共同】

「やはり自分が思っていたとおり、メンタルとの戦いでした。本当に疲れたので勝ったことに対する安堵感しかありません」
 試合後のリング上で疲労困憊の田中恒成(畑中)はそう振り返った。肉体的にも、精神的にも、タフな戦いを強いられた上での勝利だった。5月30日、愛知・パークアリーナ小牧で空位のWBO世界ミニマム級王座決定戦に臨んだ同級2位にランクされる田中は、同1位のフリアン・イエドラス(メキシコ)を3−0の判定(117―111、117−111、115―113)で下し、中部地区のジムから誕生した11年ぶり5人目の世界チャンピオンとなった。同時に昨年4月、井上尚弥(大橋)が作った6戦目の記録を更新する国内最短5戦目での世界王座奪取に成功。多くの期待と注目を一身に集めた19歳に懸かった重圧は相当のものだった。

理想的な立ち上がりだったが…

試合開始早々、武器であるスピードを生かしてイエドラスを翻弄する理想的な立ち上がりだったが… 【写真は共同】

「緊張もしてましたし、すごいプレッシャーもありましたが、地に足をつけてスタートできたと思います」
 その言葉どおり、出だしは田中の武器であるスピードが展開を主導した。左をジャブ、フックと変化をつけて速射。俊敏なステップワークに乗った多彩な左のリードブローで相手を牽制し、右からコンビネーションを打ち込むタイミングを窺う。ここまでは理想的な立ち上がりと言えた。だが、スピードについていけないイエドラスが1回中盤、田中の左ジャブの打ち終わりに右フックを合わせて一矢。地味ではあったが、この一発がその後の展開に影響を与えたのではないか。

 右を警戒して、左を手控えた田中はいきなりの右アッパー、左ボディを巧打。すかさずリズムを変え、センスの違いを存分に見せるのだが、ペースは自然、加速していった。2回には左フックから右ストレートをガードの間から打ち抜いて、ぐらつかせると、後退するイエドラスをロープに追い、連打を浴びせた。
「めちゃくちゃタフなイメージがありましたけど、意外とクラッとくるなと。感触はありました」
 田中のパンチに妙に力が入り出したのは、このときの手応えと無縁ではないはずである。約4500人の大歓声にも後押しされて、期待を背負った田中は飛ばしに飛ばした。

スピードのある田中にボディで対抗

試合中盤には疲れからイエドラスの土俵である足を止めての打ち合いに身を委ねた 【写真は共同】

「タナカはとにかくスピードがあった。次から次と動かれて、追いつくことができなかった」
 劣勢に立たされたイエドラスは試合後にそう振り返っているが、狙いはより明確になった。まずはボディで田中の動きを止める――。

「1回、2回はいいじゃないかと思いましたが、3回の終わりごろからやべえなと思いました。メンタル的には正直4回、5回くらいからきつくなりました。向こうもどんどんプレッシャーを強めて、自分にも疲れが出てきたので」
 中盤に入って足を止め、キャリアで上回るイエドラスの土俵と言える接近戦に田中が身を委ねたのは、これが理由のすべてだろう。5回こそ、右アッパーから連打をまとめる見せ場を作ったが、6回には左右の連打を不用意に被弾。風向きが怪しくなりかける。7回はサウスポーにスイッチしながら連打をまとめたが、攻勢を強めるイエドラスもこれに呼応し、パンチを交換し合った。

緩急、長短、強弱――ペース渡さず

中盤以降、イエドラスに傾きかけた流れだったが、試合状況を見極めながらチェンジ・オブ・ペースを繰り返し、主導権を渡さなかった 【写真は共同】

「(イエドラスは)想定通りのタフボーイ。もらっても、もらっても、ガンガン来る。それに付き合った6回、7回は本当にヒヤヒヤした」
 畑中清詞会長が肝を冷やしたように、田中がペースをずるずる明け渡したとしても、おかしくはない展開だった。だが、田中はこの苦境を自らの引き出しで懸命に乗り越えていく。

 静から動、動から静と動きに緩急をつけ、また、長短の距離を使い分けた。パンチに強弱をつけ、また、連打と一発を使い分けた。自身の状態と試合状況を見極めながらチェンジ・オブ・ペースを繰り返し、流れを決して相手に譲らない辺りは、とてもプロ5戦目のボクサーにできることではない。

激しいスタミナ消耗も「絶対に勝つ」

弱気になりそうだったという田中に「弱気になるな」と発破を掛けた畑中会長(左)と父親の斉トレーナー 【写真は共同】

「コーナーからは何回も同じことを言われました。『頑張れ、弱気になるな』ということだけ」

 弱気になりそうだったという気持ちを畑中会長、父親の田中斉トレーナーにも励まされ、田中はようやくフルラウンドを走りきる。思い出したように両手を上げ、青コーナーに戻ったところで一瞬、足がもつれた。記憶する限りでは試合終盤にも2度ほど足をもつれさせた場面があったはずだが、消耗の激しさはかなりのものだった。単にペース配分やスタミナの問題というだけでなく、田中が受け止めてきた重圧を思えば、見えないスタミナの消耗も大きかったに違いない。

「周りの応援、会長やみなさんの期待を感じながら、ここまで来て。負けたら終わりじゃないですけど、負けても頑張ったなとは思えないですし、ここだけは絶対に勝たなきゃいけない試合。そういう気持ちで今までもやってきましたが、それが一番強かったのが今日の試合です」

高山との統一戦の話も今後は未定

一夜明け会見では「実感がない」と語った田中。IBF王者・高山との統一戦の話もあるが、今後どのようなチャンピオンロードを歩むか注目される 【写真は共同】

 重圧をはねのけ、記録を達成した田中だが、王者の証明はこれから。今後についてはIBF世界ミニマム級王者の高山勝成(仲里)の名前が盛んに挙げられているが、畑中会長はあらためて「今後の予定はまだわからない」と白紙を強調した。個人的には長らくミニマム級でトップを張り続けてきた高山と田中の新旧対決は興味深いと思うのだが、高山が一度は理由をつけて防衛もせずに返上したはずのタイトルを、また統一戦で争うという形では何とも興ざめなのである。

 この6月15日でようやく20歳になる田中はまだボクサーとしても成長途上。体格的にも近い将来、階級を上げる可能性は高いが、いずれにしても名実ともにしっかりとしたチャンピオン・ロードを歩み、大きく羽ばたいてもらいたいと思う。
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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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