遊び感覚の育成法で代表候補に急浮上 クラブチーム育ちの走幅跳・甲斐好美

折山淑美

日本歴代4位の記録をマーク

今年4月の大会で日本歴代4位の記録となる6メートル64をマークした甲斐好美 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 女子走り幅跳びの甲斐好美(VOLVER)は、高校時代のベストが5メートル43だったという。しかし、大学3年になった昨年は、4月に埼玉県で行われた記録会で初めて大台となる6メートル03を記録すると、その後は全試合で6メートル超え。11月にはさいたま市跳躍記録会で6メートル36を跳んで、2014年の日本ランキング1位に立った。

 そして今年、4月5日のスプリングフェスティバルin駒場では、日本歴代4位となる6メートル64をマーク。無名選手だった彼女は一躍、8月の世界選手権(中国・北京)代表有力候補にまで躍り出たのだ。
「(4月の大会では)その日は雨だったけど、今年はそこで記録を狙うつもりだったから体調もすごく良くて……。なかなか踏み切りが合わなかったけど、最後の6回目にはピタリと合って、今まで自分がやってきたことが全部出たのが記録につながりました。昨年の国体が終わった後は2カ月間、何もしないでリフレッシュしたので、気持ちも新たに練習できたのが良かったのだと思います」

 甲斐が所属するクラブチーム「VOLVER(ヴォルヴェール)」の金子明広コーチは「踏み切りで膝も伸びていて、空中での体の浮きも全然違ったので『決まった!』と思いました。その2週間後のクラブ対抗戦では、少し跳びにいったジャンプで6メートル46を跳びましたが、天気も良くて好条件だったので、もし6メートル64を跳んだ時の動きができていたら、日本記録(6メートル86)はいっていたと思います」と話す。

 ただ自己ベストの大ジャンプの後、少し膝を痛めてしまった。その影響で、初めての海外トップ選手との戦いとなった5月のゴールデングランプリ川崎では、緊張感も加わって6メートル03にとどまり5位という結果に終わっている。

クラブチーム「VOLVER」との出会い

この3年間で記録を飛躍的に伸ばした甲斐だが、「『5メートル80のレベルだ』とよく言われるんです」と、まだまだ技術的には未熟だと話す 【スポーツナビ】

 高校時代に比べ、この3年間で記録を一気に伸ばした甲斐。指導してきた金子コーチが「ほかの跳躍の先生から、『何もできていないのに何で跳べるんだ』と言われている」と苦笑すると、甲斐本人も「『5メートル80のレベルだ』とよく言われるんです」と笑う。実は、跳躍の技術練習に関しては、まだほとんど手を付けていない状態なのだ。

 1993年に埼玉県で生まれ、すぐに宮崎県に引っ越した甲斐は、小学4年から陸上を始めた。そんな彼女が進学したのは中高一貫の進学校である日向学院。高校では陸上部に入って走り幅跳びを始めたが、部活動は楽しむためのものであり、全国大会の「インターハイ」は手が届かない大会でしかなかった。

 高校を卒業した12年、大学進学時に、祖母の家がある埼玉県に戻る。陸上を趣味として続けたくなったため、クラブチームを探していた時、金子らが陸上のマスターズ大会出場を目指して発足させた「VOLVER」と出会った。
「最初に体験させてもらった時に楽しくやれそうだなと思ったのと、金子さんたちに『6メートルは跳べるから、やるなら日本選手権まで目指してみようよ』と言われたのに魅力を感じました。その時は『6メートル?』と思って自分も本気じゃなかったし、陸上に懸けていたわけではなかったので、軽い気持ちでやってみようかなと思って……」

 一方、「VOLVER」の監督でもある金子コーチは、甲斐の脚力の強さに着目していた。特に足首の部分が強いと話す。
「(練習に参加した)最初は、手の指などの末端部をまったく使えず、やれと言ったこともできないんです。だから指を使う動きや、やり投げなどを遊びみたいな感覚でやらせました。僕としては、イメージするだけで練習になるような感じにしたかったので。目をつむって想像した時に、体全体が思う通りに動かなければできないので、それをやれるような体作りを半年くらいやらせました」

 甲斐にとっても、最初の入りが遊び感覚でできたことが良かった。

フォーム改善でスピードがアップ

 意識が変わったのは、「VOLVER」に入った翌年となる13年6月の埼玉県選手権だった。8位以内に入って、関東選手権には進めるだろうと臨んだが、結果は1回目の5メートル35が最高で12位。当時の練習は週1回のみ。「それじゃあダメだよな」と思うとともに、コーチたちの期待に応えていない自分に悔しさを感じた。

 そこから記録を伸ばすために、金子コーチが提示した取り組みはシンプルだった。陸上の基本はスピード。まずは速く走れるようにならなければいけないということだ。

 当時の甲斐は、重心が後ろに下がり、上半身だけを前に突っ込んでパタパタ走るようなフォームで、100メートル走も14秒台だった。まずはそのフォームを改善することに着手し、理想としては、回転するボールがバウンドした時に、前方へ跳ねていくように腰が乗っていく走りを目指した。

 金子コーチはこう言う。
「僕も彼女と同じで、高校時代はやり投げで埼玉県チャンピオンになりましたけど、100メートル走に関しては12秒台だったんです。でも、日本体育大へ入ってから、先輩に平田卓朗さんや田島宣弘さん、奈良賢司さん(それぞれユニバーシアード日本代表などを経験)という方がいて、その人たちと同じように動きを意識しながら練習をやっていたら、すぐに速く走れるようになりました。

 今の練習の基本メニューは、流し(全力よりやや力を落として走る練習)を10本程度。週に多くて3回グラウンドを使える練習では、金子コーチが付きっきりで動きのリズムと重心の位置などをチェックするが、それ以外は自宅近くの道路で注意されたことを意識して流しの練習をする。

 スターティングブロックを使った練習はほとんどしないため、スタートは下手だと本人も笑う。しかし、100メートルでも13年秋には12秒36を出し、昨年7月には12秒14で走れるようになった。

「本当に頑固ですね。指示したことがなかなかできない時には『できるまでやれ』と言うと、本当に夜までやっています。ひとつのことがしっかりできるようにならないと、次へは進めない性格なんです」と金子コーチは語る。

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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