照ノ富士、大関への道にあった“転機” 逸ノ城が差を縮められるのは今だけ

荒井太郎

一度はあきらめかけた大関昇進

年6場所制では初となる三役2場所で大関昇進を果たした照ノ富士。大関として臨む名古屋ではどのような活躍を見せるか? 【写真は共同】

 5月場所14日目、白鵬が稀勢の里に敗れた一戦を支度部屋のモニターで見ていた照ノ富士は思わず「ウソッ!」ともらした。これで白鵬と照ノ富士が3敗で首位に並び、日馬富士、稀勢の里ら4敗の6人にも優勝の可能性があるという、一転して大混戦に陥った。
「とりあえず、自分の目の前の一番に集中するだけ。全然普通ですよ」と平然を装うが、表情はいつもの口癖である「フツー」ではなくなり、一瞬にして引き締まった。

 審判部も色めき立った。「12勝で優勝となれば、大関はグッと近づく」と井筒審判部副部長(元関脇逆鉾)。一度は絶望的に思えた大関取りのムードは最終盤に来て再熱。そればかりか考えてもみなかった初賜盃のチャンスも現実味を帯び、流れはもはやモンゴルの若武者に傾いていた。

 千秋楽、碧山に勝った照ノ富士が注視する横綱同士の一番は、兄弟子の日馬富士が白鵬を下し、この瞬間に初優勝が決まった。支度部屋では感極まり、付け人としばし抱き合った。
「夢みたいです。涙が出そうになった」と話す目はすでに赤かった。一度はあきらめかけた場所後の大関昇進も事実上、決定した。

隠し玉として高校日本一を達成

「これからも心技体の充実に努め、さらに上を目指し、精進致します」

 千秋楽から3日後、5月27日に行われた大関昇進の伝達式。小さな声ではあったが、よどみなく口上を述べた新大関。日本の大相撲に憧れ、鳥取城北高校に相撲留学するためにモンゴルから来日した18歳の少年は、わずか5年後には相撲協会の「看板力士」になっていた。当初は「弱くて地方大会でも勝てなかった」と恩師、鳥取城北高校相撲部の石浦外喜義監督(当時)は振り返る。それが3カ月もすると戦力に成長する。

「彼に懸けてみよう」

 平成22年のインターハイ団体戦では、決勝トーナメントから中堅として名を連ねた。ガントルガ・ガンエルデネ(本名)の“日本デビュー”は衝撃的だった。190センチ、155キロという堂々たる体格で左四つに組み止め、右上手を引きつけて攻め立てる相撲は相手をまったく寄せつけず、決勝戦まで自身は無敗。強豪校と言われながら届きそうで届かなかった同校初の全国制覇は、モンゴル出身の“隠し玉”の貢献抜きでは成しえなかった。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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