あらためて「セレ女現象」を検証する J2・J3漫遊記 セレッソ大阪<後編>

宇都宮徹壱

知られざるクラブの前史

大阪市住之江区に昨年オープンしたセレッソ大阪メガストア。広い店内にはミュージアムも併設されている 【宇都宮徹壱】

 大阪市住之江区。四国や九州へのフェリーの発着所として知られるこの地に、『CEREZO OSAKA MEGA STORE(セレッソ大阪 メガストア)』がオープンしたのは昨年7月のことである。総床面積1000平方メートル。国内はもとより、ヨーロッパの中堅クラブのオフィシャルショップと比べても、まったく遜色のない広さと充実した品ぞろえを誇る。しかし、客がほとんどいないのはどうしたことだろう。店員に尋ねると「今日は練習がオフだからじゃないですか? 練習がある日だったら、サインをもらうためのグッズを買いに、若い女性のお客さんがよくみえますね」とのこと。それを聞いて、少し安心する。

 このメガストアが特徴的なのは、クラブのミュージアムが併設されていることだ。歴代のレジェンドたちのサイン入りユニホームやスパイク、トロフィーや記念グッズの展示の他に、C大阪の20年の歴史を紹介したDVDも上映されている。C大阪が「大阪第2のJクラブ」となったのは、1995年のこと。今からちょうど20年前である。その前身が70年代に一時代を築いた日本サッカーリーグの雄、ヤンマーディーゼルサッカー部であったことは、サッカーファンなら誰もが知るところだろう。とはいえ、ヤンマーから『C大阪』になるには、知られざる紆余(うよ)曲折があった。当時の経緯を知る現社長の玉田稔は、こんな興味深い話を教えてくれた。

「まずホームタウンを決める際、候補地として京都や神戸という話もあったんです。特に神戸は、かなり具体的な話になりかけたんですが、結局は2002年のワールドカップ(W杯)のスタジアムを作るというのが決め手となって大阪市になりました。クラブ名もいろいろアイデアが出ましたよ。『いてまえ』を逆さにして『エマティ』とか(笑)。『ビバシティ』『サザンエックス』『シュライカー(もず)』とかね。チームカラーについては、(当時のJリーグの規定で)ストライプはダメ。残っている色は、ピンクか茶色しかない。『ピンクはやめておこう』という意見もあったんですが、大阪市の花は桜ということで、セレッソという名前とピンクが決まったんです」

 茶色いユニホームの「エマティ大阪」にならなくてよかった──。そう思うのは、私だけではないだろう。その後C大阪は、最終節まで優勝争いに絡むこと2回(00年ファーストステージ、05年)、J2降格で涙をのむこと3回(01年、06年、14年)。その間に、森島寛晃、西澤明訓、大久保嘉人(現川崎フロンターレ)、香川真司(現ドルトムント)、乾貴士(現フランクフルト)、清武弘嗣(現ハノーファー96)、柿谷曜一朗(現バーゼル)、そして山口蛍といった代表クラスの人気選手を多数輩出してきた。今季はJ2での戦いとなるが、それでもC大阪が関西を代表する人気クラブであることに変わりはない。

契機となったロンドン五輪

C大阪のゴール裏に若い女性が目立つようになったのは13年から。前年のロンドン五輪がきっかけとされる 【宇都宮徹壱】

 そんなC大阪の近年の話題といえば、昨年の「フォルラン現象」、そして「セレ女(C大阪を応援する女子)現象」が挙げられる。ディエゴ・フォルランについては前回のコラムで取り上げたが、今回はセレ女についてフォーカスしたい。というのも、いわゆるセレ女現象は、C大阪といういちクラブのみならず、Jリーグ全体で考察すべき興味深い現象であると考えるからだ。

 周知のとおり、このところJリーグはライト層、とりわけ若い世代と女性のファン開拓に力点を置いている。その「若い世代」かつ「女性」を取り込むことに成功したのがC大阪であった。その効果は具体的な数字にも表れている。昨シーズンの観戦者調査によれば、新規ファンの獲得割合第1位はC大阪で11.8%という高い数字をたたき出している(2位は昇格効果が顕著だった徳島ヴォルティスの9.4%)。平均入場者数も2万1627人で、前年(13年)の1万8819人から14.9%増である。

 もちろんこれらの数字には、フォルラン加入による効果も少なからず反映されていただろう。だが、さらにさかのぼってみると、13年で11.3%、12年で19.6%と、フォルラン加入以前から平均入場者数は3シーズン連続で2ケタの伸びを示している点は看過すべきではない。

 入場者数上昇の起点となる12年といえば、ロンドン五輪が開催された年。この時の日本U−23代表には、2年後のW杯メンバーとなる山口をはじめ、OBの清武、そして扇原貴宏、杉本健勇(現川崎/当時は東京ヴェルディに期限付き移籍中)と、C大阪カラーの強い顔ぶれであった。このロンドン五輪を契機として、スタジアムや舞洲の練習場に急激に女性ファンが増え始める。

「昔のゴール裏は、はっきり言って、おっちゃんとおばちゃんばかり(笑)。それがいつの間にか、(柿谷)曜一朗がボールを持つたびに黄色い歓声が上がったり、応援よりも写真撮影に夢中になる女の子が増えたりするようになりましたね。ロンドン五輪がきっかけで、次の年(13年)の東アジアカップで曜一朗と(山口)蛍がA代表に選ばれてさらに爆発して、去年の今の時期くらいがピークでしたかねえ」(ある古参サポーター)

 では、そのピークから1年が過ぎ、C大阪がJ2に降格した今、セレ女たちはどうなったのだろうか? 柿谷や杉本、さらには南野拓実(現ザルツブルク)がチームを去ってしまったことで、C大阪から距離を置くようになってしまったのか。それともライトなセレ女から、よりクラブに寄り添うようになっていったのか。限られた取材期間の中で、探ってみることにした。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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