20年前の秒殺ブームの勢い再び――パンクラス酒井社長×鈴木みのる第1弾

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空白の10年を3年で急速に戻す

現在のパンクラスについて、みのるは「外から見ていてもうまくいっている気がする」と評価する 【田栗かおる】

――スマッシュを経てパンクラスに関わっていますけど、スマッシュ時代の成功と失敗はパンクラスに生かされていますか?

酒井 スマッシュをやっていたのは、プロレスを通じて見に来ている人に感動を与えたかったんですよ。感動が記憶に残って次のステージに行けるじゃないですか。僕はいつも感動というのをテーマにやっているので。それが震災後はスマッシュでは僕の中で感動を生むことができないという感覚になってしまって……。じゃ、その次に何ができるかっていうのがあったときにパンクラスの話があったんですよね。

みのる 縁ですよね。

酒井 僕の中でリアルとして、スポーツとして感動を生む、そういうところでチャレンジをしてもいいかなという気持ちになって。でも、すぐに僕はやるとは言っていないんですよ。少し時間をもらって、今のパンクラスの現状を見させてもらって、何回か会場に足を運んで考えましたよね。僕もパンクラスが大好きだったので、すぐにやりたいって言いたかったんですけど、やはり歴史があるので逆にしっかりやらないとダメだと思ったし、当時の社長だった川村(亮)が一生懸命やっている姿を見て、もがいているなというのはすごい見てて分かったし。その中で自分の役割って何だろうというのはありました。

みのる もともと旗揚げのときの社長がいて、次にドンキホーテグループがやって、次に川村が社長をやりました。それぞれみんないいところ悪いところがずっとあったんですけど、一気に何の経験もない若い川村が人の上に立ってすごく丁寧な仕事をしました。 そこしか能力がなかったからなんですけど……。

 でも、その部分というのは大きな企業の人は絶対に見過ごしちゃう部分だったと思うんですよね。それは酒井さんでも普段だったらそのまま見過ごしちゃうところかもしれない。ただ、今は外から見ている感じだと、酒井さんが見えないところを川村がやって、川村が見えないところを全部酒井さんが請け負って、うまくやってくれている気がしますね。川村は一番下のところで個人のつながりとか小さいことはできるんですけど、上は見ることはできないので。

酒井 僕は経営を任されることに対して、どれだけのリスクがあるかは当然分かっているわけじゃないですか。うちはコンサル会社もやっているので。そういうノウハウも生かしていきたかった。

 僕は10年間の期間でやっていたはずのことを3年間で急速に戻したいなと思っていました。それは個人レベルでやっていたら無理なんですよ。そこはある程度大きいところと話をさせてもらったりとか、海外にどんどん目を向けたりとか、いろいろやっていかないと埋まらないですよね。

みのる 企業のできる仕事の枠と、個人商店のお店のお兄ちゃんのやれる仕事は全然違う。大きい小さいはもちろんあるんですけど、いいものが両方にあるので。それが今うまくくっついたから、いろいろな面でパンクラスが動くようになったんじゃないかなという気がしますね。

国内でいがみ合っている時代じゃない

パンクラスの10角形ゲージ「デカゴン」に初めて入ったというみのる。パンクラスのロゴの上で新旧のトップ対談は続いた 【田栗かおる】

――鈴木さんの目から見てもパンクラスは頼もしい組織になりましたか?

みのる 頼もしいのももちろんなんですけど、旗揚げからずぅーーと犬猿の仲だったところと全部仲良くなっていただいて(笑)。もちろん俺らが退いたからというのは大きいと思うんですよ。時代が解決してくれたというか。それはリングスがひとつ、それと修斗がひとつ。ここは大きいですね。同じようなことやっているのに、みんな喧嘩しているんですもん。オレが一番、オレが一番って言って。

――90年代は本当に仲悪かったですもんね。

みのる 悪かったですねぇ。選手同士が会ったこともないのに、なぜか憎みあってるんですよ、全員が。これは不思議な状況だったですね。会ったこともないのに憎んでるんですよ。言葉悪いですけど、死ねばいいのにって思うぐらいの憎しみ方をそれぞれがしていたので。もちろん今までもいろいろな人が努力して穴埋めはしてくれてたんだと思うんですよ。それを解決したのは、間違いなく次のステップへすごい大きな一歩ですね。

――酒井さんは人をまとめるのは得意な方じゃないですか。

酒井 そうですね。今僕は海外と話をしているんですけど、3年前にラスベガスのテレビ局に行って、「パンクラスって知ってますか?」ってテレビ局の偉い人に聞いたことがあったんですよ。「パンクラスは知ってる。プロレスだよね」って言われるんです。あとはロサンゼルスに行ったときにも「パンクラスを知っていますか」って聞くと、やっぱり「知っています」と。20年間のパンクラスって世界に広まっているんですよ。

 一方、国内のメディアってそんなに一般の人に行き渡ってないじゃないですか。各団体それぞれの世界観なんですよ。これって大きな差があって、ようは日本の格闘技界に関してガラパゴスになっているということです。総合格闘技が生まれた文化のある日本、秒殺がブームになったパンクラスでさえも、ガラパコスになりつつある、と。もう国内の団体同士でいがみあっている場合じゃないよね、と。

「パンクラスはプロレスですよね」ってラスベガスで言われたときに、本当に衝撃を受けました。僕は当然MMAだと思っていたので。だからそういう風に言われて、すぐ日本に帰ったときにパンクラスMMAってロゴに入れました。

みのる 今の時代になって、僕も修斗関連だと中井祐樹、彼とは連絡取ったりとか、会ったりするんですけど。あとはリングスだと前田日明さんとも今は普通に話せるようになったんですけど(笑)。みんなと話してると、結局1個のところからすべてスタートしているんですね。全部カール・ゴッチさんなんです。

 修斗は元々シューティングという名前だったんですよ。佐山(聡)体制から次の体制になるから名前を変えようとなって、内定していた名前が実はパンクラスだったらしいんですよ。だけど僕らのほうが先に生まれちゃったので、その名前を使わなくなったんですよ。そういう歴史があるみたいなんですよね。

 リングスにいたっては元々一緒にやっていた人なので、先生も一緒なんです。結局みんな血を分けた兄弟というか。よくマスコミに近親憎悪と書かれたんですけど。兄弟喧嘩が息子や孫の世代になってまたひとつになってきたという感じがします。

――鈴木さんは当時の怒りとか憎悪とか今はすべて消えていますか?

みのる また別のものでありますけどね(笑)。パンクラスに関してはまったくないですね。僕がパンクラスから選手として抜けるときに、パンクラスismの選手を集めて「すべて譲る」って言ったんですよ。「すべてを譲る」という意味もちゃんと言いました。譲るというのはもちろん権利とかもそうなんですけど、ここを潰すのも、残すのも君ら次第だし、残してほしいとも、潰さないでくれともオレは言わない、と。それが任せるということだと思うので。何を選択するかも彼ら次第であって、任せると言って渡したので。これからその憎悪の塊で隣に行きますけどね(笑)。
※取材後、みのるは隣のノア有明コロシアム大会に参戦し、丸藤正道の持つGHCヘビー級王座に挑戦した

<パンクラス酒井社長×鈴木みのる対談第2弾(4月17日更新)へ続く>

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