NECを優勝に導いた2人のセッター 秋山美幸と山口かなめが歩んだ苦悩の日々
「こんな日が来るなんて思わなかった」
10シーズン振りの優勝に喜ぶNECの選手たち 【坂本清】
表彰式の檀上、秋山はズシリと重いブランデージトロフィーを両手で高く掲げた。
「こんな日が来るなんて思いませんでした」
溢れる涙には、理由があった。
今季のNECは、近年の課題であった「攻撃力不足」を解消するために、新たなスタイルに取り組んできた。ミドルブロッカーの島村春世や大野果奈が、従来のA、Bクイックやブロード攻撃に加え、ブロックで跳んだ後にそのままレフトやライトで助走に入ってスパイクを放ち、後衛時にもリベロと代わらずバックアタックに入る。
セッターを含めた全員攻撃。言葉にすれば簡単に聞こえるが、選手たちにとっては大きな意識改革でもあった、と島村は振り返る。
「前衛にいる時だけでなく、後衛にいる時でも常に攻撃のことばかり考えていました。相手のスパイクをレシーブした後でも、すぐ次の攻撃に入らなきゃ、と思っていたし、全部自分が打つぐらいの気持ちで助走に入っていました」
加えて、単純に攻撃枚数を増やすというだけでなく、1人1人の攻撃に幅を加える。たとえば平行な軌道のトスを打つことが得意なサイドの選手にも高いトスを打たせ、中から外へ開いたり、外から中へ入ったり、動きに変化を加え、得意なコースばかりでなく、ストレートもクロスも打てるように。シーズン前の鍛錬期のみならず、リーグ戦が終盤に入っても山田晃豊監督は選手たちに「個」のスキルアップを求め続けた。
竹下と比較され続けてきた山口
JTでは竹下と比較され続けた山口(5番)。ゼロから再起を図るべくNECへの移籍を決断した 【坂本清】
高い位置でのセットアップからミドルを生かせる山口と、崩れた状況を立て直す抜群の安定感を持つ秋山。持ち味は違うが、共に大学在学時には数多くのタイトルを総なめにするなど、豊富なキャリアを持ったセッターでもある。
だがVリーグで2人が歩んできたのは、決して華やかな、光の当たる道ではない。卒業後間もなく、秋山はNECで、山口はJTマーヴェラスでレギュラーセッターに抜てきされるも、秋山はケガとの戦い、そして山口には見えないプレッシャーとの戦いが待っていた。
ポスト竹下。
何もしなくても、JTのセッターとしてトスを上げるだけで、山口はその前年までチームの司令塔であった竹下佳江と比較され続けた。かつて竹下自身が「自分と同じようなセッターはいなかったから、自分自身で考えて、形をつくるしかなかった」と言っていたように、身長が高ければそれだけ有利とされる競技において、159センチの竹下が、世界と戦うために築いてきたスキルや戦術は、他の選手にまねできるようなものではない。
セッターとして、竹下の個性があり、山口の個性がある。ごくごく当たり前のことなのに、取材時にはまるで常とう句のように「竹下さんの後でセッターになったプレッシャーは?」と言われ続けた。
周囲の選手たちは「自分のスタイルでやればいい」と若い山口を支えてくれたが、負ければ「セッターが代わったから」と言われるのではないか。気にしないようにすればするほど、周囲の声が気になった。覚悟して選んだ道とはいえ、自分を評価してくれる人はいないのではないかと、思い悩むことは一度や二度ではなかった。
1年目、2年目と年数を重ねるにつれ、自身の試合出場が減っていく。もう一度、1からではなくゼロからやり直すつもりで。今季、山口はNECへの移籍を決断した。