夢の空間に変貌を遂げた新スタジアム=J2・J3漫遊記 AC長野パルセイロ

宇都宮徹壱

新装なった南長野でのこけら落とし

3月22日に開催された長野対相模原の試合は、新スタジアムのこけら落としとなった 【宇都宮徹壱】

 3月21日、開業からちょうど1週間が経った北陸新幹線に初めて乗車した。ただし目的地は富山でも金沢でもなく、東京駅からわずか1時間30分ほどで到着する、途中駅の長野である。今年は、長野市にとってビッグイベントが目白押しであった。まず北陸新幹線金沢開業に伴い、駅ビル及び周辺がリニューアルされたこと。そして長野を代表する観光地である善光寺では、7年に一度の「御開帳」の年に当たること(4月5日〜5月31日)。さらにもうひとつ、当地をホームタウンとするJ3所属のAC長野パルセイロの新スタジアムがオープンすること。本当はJ2に昇格してからこけら落としを迎えたかったのだろうが、昇格の美酒を味わったのは北陸新幹線の向こう側のツエーゲン金沢であった。

 新装なった南長野運動公園総合球技場(以下、南長野)のこけら落としは、3月22日のSC相模原戦。21日には、メディア向けのスタジアム内覧会が行われるため、今回は試合前日での長野入りとなった。新スタジアムの魅力については、後ほどじっくりとご紹介するとして、まずは長野と相模原による一戦について触れておきたい。晴天の下で行われたこの試合、先制したのはホームの長野であった。開始2分、試合にうまく入りきれていなかった相模原に対し、佐藤悠希が豪快なオーバーヘッドキックを決めてスタンドを大いに沸かせる。しかし後半は相模原が試合の主導権を握り、後半4分に井上平のヘディングで同点に追い付くと、その2分後に長野の仙石廉が2枚目のイエローカードで退場。人数が1人少なくなった長野は、システムを変えて勝ち越しの機会をうかがうも、後半28分には須藤右介に決勝ゴールを決められ、晴れの舞台を1−2の敗戦で終えることとなった。

 試合後の会見。長野の美濃部直彦監督は「まず、このようなスタジアムとピッチ、そしてホーム開幕に素晴らしい環境を整えていただいて、本当に感謝していています」と関係者への謝意を述べた上で「それに応えるために勝利できなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいです。ホーム開幕というだけでなく、長野パルセイロとしての大きな船出だっただけに……」と苦渋の表情。自身も長年待ち望んでいた、新スタジアムでの記念すべきゲームだっただけに、その落胆ぶりは察するに余りある。

 一方、対戦相手の相模原にも、この新スタジアムに深い感慨を抱いた選手がいた。決勝ゴールを決めた須藤は、2010年から12年までの3シーズンを松本山雅FCでプレーし、長野との『信州ダービー』が行われた11年には腕章を巻いていた。かつての南長野を知る男は「監督の辛島(啓珠)さんも山雅の監督をやっていたから、『昔と比べたら明らかに別物だね』って話をしていました。ピッチに関しては、アルウィンよりもいいですね。おそらくJ3では一番だと思います」と語る。須藤や辛島のように、かつての信州ダービーを知る者にとっても、南長野の変貌ぶりにはさぞかし目を見張ったことだろう。

新スタジアム構想を加速させた『信州ダービー』

南長野のピッチを入念に整備する青木茂。サポーターからコールされるほどの有名人だ 【宇都宮徹壱】

 かつての南長野は、長野のサポーターはもちろん、地域リーグやJFLを愛する人々にとっても、とてもなじみ深い競技施設であった。収容人数は6000人、両ゴール裏とバックスタンドは芝生席で、もちろん屋根はない。それでも地域リーグやJFL、さらには天皇杯の1〜2回戦を開催するには何ら問題のない施設であった。むしろ球技専用ゆえの臨場感、丹念に管理されたピッチ、そして遠景に見える北アルプスの山々は、観戦に訪れた人々をいつも楽しませてくれていたと言えよう。そんな牧歌な風景を一変させる大きな要因となったのが、前述した松本との信州ダービーである。

 すでに21世紀の初頭から始まっていたとされる信州ダービーは、05年に松本と長野(当時の名称は長野エルザ)がそれぞれ将来のJリーグ入りを表明してから周囲の注目を集めるようになる。これに金沢やJAPANサッカーカレッジ(新潟)も加わって、06年から09年にかけての北信越リーグは、JFL昇格を懸けた「無駄に熱い」リーグとして知られるようになった。やがて10年に松本が、翌11年に長野がJFLに昇格し、信州ダービーは全国リーグに舞台を移すことになる。

 未曾有の震災により、著しい日程とレギュレーションの変更を余儀なくされたこの11年シーズン。長野はJFL1年目にもかかわらず2位でフィニッシュし、ライバルの松本は土壇場で何とか4位に滑り込んだ。当時、J2に昇格できるのは4位までである。しかし、この年にJ2に昇格したのは、3位の町田ゼルビアと4位の松本のみ。長野は、Jリーグの試合開催が可能なスタジアムを持たないため、来季も再びJFLで戦うこととなった。どんなに成績が上位でも、スタジアムを改修しなければ昇格はできない。それはサポーターの誰もが、最初から分かっていたことであった。しかし、自分たちよりも順位が下の同県のライバルに先を越されてしまったことで、「長野にもJ仕様のスタジアムを!」というムーブメントは一気に高まりを見せるようになる。

 翌12年9月、前長野市長の鷲澤正一が、南長野をJリーグ仕様のスタジアムに改修することを発表。総額80億円の予算がかかることから、反発する意見も少なからずあった。結果として市長の決断を後押ししたのが、長野サポーターを中心に集められた8万人分の署名。人口およそ38万人の長野において、そのインパクトは絶大だった。かくしてこの春、4面屋根付きで1万5000人収容の球技専用スタジアムが完成。工期はわずか14カ月であった。11年を最後に現役引退し、現在はアンバサダーとして活躍している土橋宏由樹は、感慨深げにこう語る。「僕の現役時代には間に合いませんでしたが、建設が決定してからは本当に速かったですよね。スタジアムを作らないとJには行けない。そうしたみんなの思いが、このような形になったことに感動を覚えます。いずれにせよ、これがゴールではなく、ここからがスタートラインだと思っています」。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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