高まるヒディンク監督へのプレッシャー オランダ各年代に見られる“ナイーブさ”

中田徹

ホームでなんとか引き分けに持ち込む

オランダは終了間際に追いつき、トルコ相手になんとか引き分けに持ち込んだ 【写真:ロイター/アフロ】

 スコアボードは“0−1”でトルコのリードを示していた。ユーロ(欧州選手権)予選のホームマッチでオランダが負けたのは1963年、ルクセンブルク戦のただ一回のみ。しかし、アムステルダム・アレーナに集まった多くのサポーターは、6分という長いアディショナルタイムが告げられても勝負を諦め、続々と席を立ち始めていた。

 このまま負けたら、オランダはトルコと順位が入れ替わりグループAの4位になってしまう。オランダ人にとって、来年のユーロへの道は遠くへかすみ始めていた。しかし、ヴェスレイ・スナイデルの一撃がオランダを救った。92分、イェトロ・ウィーレムスのパスを受けたスナイデルは渾身の力で右足を振り抜き、強烈なミドルシュートを放った。これがクラース・ヤン・フンテラールに当たってコースが変わりゴールイン。再婚相手のヨランテが妊娠したということもあり、スナイデルはユニホームの下のお腹の辺りにボールを隠し、親指をしゃぶってゴールを祝った(公式記録はフンテラールの得点)。

 3月28日(現地)に行われた試合は1−1で終わった。この勝ち点1は、オランダ人にとって非常に複雑な思いが残るものだ。好意的に受け取るなら、オランダは4位トルコに順位を逆転されることなく、3位の座を死守したと言える。プレーオフの相手は、おそらく格下の国になるだろうから、オランダの勝機は高いだろう。「予選なんて、勝ち上がりさえすればいい」と割り切れば、トルコ戦の引き分けは後々、非常に高い価値を持つものになるはずだ。この晩、テレビ解説を務めたファン・マルワイク(元オランダ代表監督)は「オランダの予選勝ち抜けは100%!」と力強く言い、ユリ・ムルダー(現トゥエンテコーチ)は「うーん」とうなりながらも「65%」と悪くない確率を答えた。

 だが、仮にもオランダは昨年のワールドカップ(W杯)・ブラジル大会で3位になったばかりのサッカー大国だ。首位チェコとは勝ち点6差、2位アイスランドとは同5差と大きく引き離されてしまった現状に、プライドはズタズタである。オランダ全国紙には 「オランダは道を見失う」(アルヘメーン・ダッハブラット紙)、「‘パパ’(スナイデル)がオランイェ(オランダ代表の愛称)を救う――ヨランテの妊娠が、トルコ戦のハイライト」(デ・テレフラーフ紙)と散々な見出しが並んだ。

集中砲火を浴びたデ・ヨングの起用

 今回のオランダは、アリエン・ロッベンとロビン・ファン・ペルシがけがのため不在だった。とりわけ前者に対する依存度は、W杯でも分かるように非常に高い。トルコ戦の立ち上がりこそ、左ウイングを務めたデパイが好プレーを見せたが、試合を通じてみればメンフィス・デパイ、センターFWのフンテラール、右ウイングのイブラヒム・アフェライで組んだ3トップは不発に終わったと言えるだろう。
 
 しかし、もっともオランダ人が集中砲火を浴びせたのは、ヒディンク監督がアンカーにナイジェル・デ・ヨングを抜てきしたことだった。トルコがカウンター狙いの試合運びをするのは戦前から読めていた。彼らはバックラインへのプレッシングもかけてこないため、オランダのアンカーはほぼ常にフリーでボールを受けることができる。その場合、アンカーとして適任なのは戦術眼とパス出し能力に秀でたヨルディ・クラーシーだった。

 トルコ戦のデ・ヨングは、ジョルジニオ・ワイナルドゥムとともに中盤のテンポを作れず、彼の持ち味である守備でも相手ボールをなかなか奪えなかった。この試合のテレビ中継を振り返ってみよう。

【試合前】

ファン・マルワイク フェイエノールトで好調のクラーシーを使わないのは残念。

――ヒディンク監督は「前線のベテラン2人(ロッベン、ファン・ペルシ)が不在ということで、経験豊富なデ・ヨングを起用した」ということですが。

ファン・マルワイク それは理解できる。でもクラーシーを見たかった。彼はボールを持ったら常に縦にパスを出そうとする。

【ハーフタイム】

ムルダー (前半0−1のビハインドで終わり)我々にはクラーシーが必要!

【試合後】

ファン・マルワイク オランダリーグで好調な選手を抜てきしないと。

ムルダー クラーシー! そしてウィーレムス。

 また、『デ・テレフラーフ』にコラムを持つヨハン・クライフは「クラーシーとクラーセンを使わなかったのは不思議」、『アルヘメーン・ダッハブラット』に寄稿しているビーレム・ファン・ハネヘムは「クラーシーをベンチに置き続けたのはおかしい」と、オランダサッカー界のご意見番たちも批判の手を緩めなかった。

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント