センバツで顕著な「東高西低」の傾向 東日本勢が「名前負け」を払拭した理由
ベスト8中7校が東日本勢
初出場ながら1回戦を突破した大曲工高(秋田)のエース武田 【写真は共同】
それにしても今回目立ったのは、東日本勢の強さだ。東北勢が3校以上出場し、すべて初戦を突破したのは史上初めてで、関東勢4校の初戦突破も、全5校が勝った03年以来12年ぶり。これに対して、九州勢すべての初戦敗退も03年以来。中国勢3校の初戦敗退は12年に続く。32の出場校のうち便宜上、15校が出場している東海・北信越までを東、17校出場の近畿以西を西日本とすると、1回戦の東西対決では東が9勝2敗と圧倒的だ(ほかは東、あるいは西同士の対戦)。ベスト8の顔ぶれは、大阪桐蔭高以外の7校すべてが東日本だった。
こうした東高西低の傾向は、このところ顕著だ。昨夏は、史上初めて北信越の5校すべてが、東北勢も秋田以外の5校が初戦を突破している。逆に影が薄いのが、かつての一大勢力・中国と四国で、05〜14年の10年間、春夏の甲子園で優勝がない。北海道・東北、関東・東京、東海・北信越、近畿、中国・四国、九州の6ブロックの分類では、この間に優勝がないのは中国・四国だけだ。準優勝まで対象を広げれば、中国と四国が1回ずつだが、これは北信越と同じで、4回の東北には遠く及ばない。
かつて存在した「西高東低」の固定観念
「あのときは、当時からの野球王国・広島の広陵と対戦しているんだけど、高校野球は西高東低という固定観念があったのよ。今ほど情報がないから、なおさらね。だけど、相手の監督さんが試合前、“あのくらいのピッチャー、広島にはごろごろいる”と言っているのを聞いてカチンときた。で、やってみたら勝っちゃった。相手の監督さんは、“あんないいピッチャー、広島にはいない”(笑)。戦う前から名前負けするほど、もったいないことはないと思ったね」
この宇都宮工高の準優勝がきっかけだったように、翌60年夏から法政二高(神奈川)が夏春連覇し、62年には作新学院高(栃木)が春夏連覇。関東勢が、存在感を示し始める。ただ、東海や関東はともかく東北、北信越は、かつては野球後進地方だった。甲子園の通算成績では、宮城の25位がトップで、福井が28位、長野が29位、ほかの8県は軒並み36位以下で山形、富山がブービーに並び、新潟が最下位だ。それが近年、例えば青森県が10〜14年の5年間、甲子園で19勝8敗なのに対し、野球王国・四国では、高知の13勝11敗が最高。9勝10敗の徳島、5勝8敗の愛媛、1勝6敗の香川と、残る3県合計でも青森1県にかなわない。