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1部復帰に燃える東洋大のエース原樹理
ドラ1候補を変えた先輩の言葉
投手ながら主将の重責を担う。就任44年目のベテラン・高橋監督からの信頼の裏付けだ
投手ながら主将の重責を担う。就任44年目のベテラン・高橋監督からの信頼の裏付けだ【(C)URP】

 東洋大姫路高時代、甲子園のマウンドで黄色いハンカチを使い、端正なマスクからも注目を集めた。実力もあり、ドラフト指名は確実と言われたが大学進学。この3年は不本意と言っていい時間を過ごしたが、学生ラストイヤーは必ず、花を咲かせる。

野球をやめたくなった2部降格

「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を持たせるスポーツである」という名言がある。それに見習えば、原樹理は野球によって大人になった。そして、今でも少年の心を忘れていない。


 昨年11月11日のこと。神宮球場で行われた東都大学リーグ1部2部入れ替え戦の試合後、私は2部降格が決まった青山学院大の取材をしようと、ロッカールームの前にいた。すると、2部で戦うことになる相手を視察に来ていた原が声を掛けてきた。


「青学は打線がいいですね。来年も残る選手が多いし、手強いですよ」


 言葉と裏腹に、原は対戦を待ち望んでいるようだった。そんな前向きな原を見て、驚いた。いつも話しかけてほしくない様子でうつむいていたのに、何が彼をそうさせたのか。


 東洋大姫路高のエースとしてチームを2011年夏の甲子園ベスト8に導いた原は、「プロで活躍するために、大学の4年間で鍛えよう」と東洋大へ進んだ。


 1年春、1部リーグ開幕の中央大1回戦でリリーフとして初登板。初先発した亜細亜大2回戦では0対1で敗れたが、8回1失点と好投した。だが、日本大1回戦では2回途中3失点で降板。ここを分岐点にして、原は思い描いたコースからそれ始める。


 1年秋は青山学院大2回戦で先発するも、3回5失点(自責点3)で降板。その後は救援に回る。原は当時を思い出し、苦笑いした。


「夏ごろから『このままではいけない』という焦りで、勝手にフォームが悪くなった。野球をやってきて初めての経験でした。何かしていないと落ち着かず、夜中の3時過ぎまで寮の周りを走ったこともありました」


 追い打ちをかけるように、この秋、チームは2部に降格してしまう。


 2年春は、味方の失策から失点したり、打線の援護がなく敗れたりする試合が続いた。


「野球をやめたくなっていました。自分が思い描いたとおりに進まないことにカッとなって、力任せに投げては崩れる試合が続きました」

勝利は自分でつかみ取るもの

 どうしたら勝てるのか。原は、1学年先輩の投手・阿部良亮(現・日本通運)に尋ねた。阿部はこう答えた。「本気で勝ちたいなら、自分で抑えるしかない。『打ってもらおう』『守ってもらおう』という考えは捨てろ」


 だが、当時の原はこのアドバイスを本当の意味では理解できなかった。


 2年春ごろから、原は右肘に違和感を覚えていた。それが不調の要因だったが、言い出せなかった。投手陣にけが人が多く、戦列を離れるわけにはいかなかったからだ。


 2年秋のリーグ戦を終えると、右肘遊離軟骨のクリーニング手術に踏み切る。年末にはキャッチボールを再開。3年春のリーグ戦後半には、腕を振って投げられるようになった。


「マウンドに立てるのが幸せで、やっぱり野球が好きだと思いました」


 3年秋。立正大2回戦は逆転優勝のためにも、最下位争いを避けるためにも、負けられない一戦となった。「それまでは監督から『お前が中心になれ』と言われても、どこか逃げていた。でも、そのときは負けられない状況から『これ以上みじめになりたくない。自分がやってやろう』という気持ちになりました」


 先発した原は、5安打完封勝ち(1対0)。翌日も志願して先発し、1安打完封勝ち(2対0)した。「投げるたびに勝っていた高校時代を思い出した。勝利は自分でつかみ取るものだと実感し、阿部さんのアドバイスの意味が理解できました」


 右肘の不安が消えたことと、この連続完封。それが、原を前向きにさせたのだった。

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