U−22日本代表に期待する「伸びしろ」 “ぬるい”ミャンマー戦から見えたもの

川端暁彦

戦力も準備も整っていなかったミャンマー

9−0とミャンマーに大勝したU−22日本代表。この試合から何が見えたのか 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

 スコアボードに刻まれた数字は「9−0」。途中から電光掲示板の得点者欄が入りきらなくなってしまうのではないかと、見当違いの心配までしてしまった。U−22日本代表とU−22ミャンマー代表の国際親善試合は、吹きすさぶ寒風に反した“ぬるい”試合になってしまった感が否めない内容だった。

 試合前から嫌な予感はしていた。JFA(日本サッカー協会)が発表していた公式コメントから、来日したミャンマーの選手の中に「海外が初めて」という選手すらいることが分かっていたし、私自身が昨年の秋にミャンマーを訪れていることから、同地が「とにかく暑い国」であることもよく分かっていた。記者席では、試合前の整列時点から「ミャンマーの選手、めちゃくちゃ寒そうですね……」「この寒さはカルチャーショックみたいなものだろうな」といった会話が交わされていた。ミャンマーのチー・ルウィン監督は「寒さを言い訳にはしない」と潔く語ったが「影響がなかった」とは言わなかった。実際、あったのだろう。

 加えて言うなら、この日のミャンマーは戦力も整っていなかったし、恐らく戦備も不十分だった。ミャンマーは昨年のAFC U−19選手権で4強入りし、今年のU−20ワールドカップ(W杯)出場を決めている国である(日本は8強で敗退してW杯出場を逃した)。ただ、その主力メンバーは今回の来日組に含まれておらず、サブ組がいたのみ。国としてもU−20を優先して強化するのは自然な選択だろうから、無理もなかったのかもしれない。

大量得点にも最後まで手を抜かず

チームには攻守の切り替え、素早く攻め切ってゴールを目指すという手倉森監督のサッカー観が反映されている 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 戦力的な差に加えて、環境面での適応にも絶望的な差があったのだから、結果も明らかだった。8分にGKのキャッチングミスからFW鈴木武蔵(アルビレックス新潟)が押し込んだ先制点を皮切りに、日本のゴールラッシュが始まる。13分にMF中島翔哉(FC東京)が右足シュートを突き刺し、21分にDF岩波拓也(ヴィッセル神戸)がヘッドで決めたところで、事実上の勝負は決まってしまった。以降は、9−0というスコアに象徴されるように、強化試合としてはいかにも物足りない内容に終始することになった。

 ただ、「全力で激しくサッカーをするだけだと思っていました」という中島の言葉が象徴するように、選手たちが弛緩(しかん)した空気を出すことはなかった。「点差こそつきましたけれど、最後まで手を抜かずにやってくれたことに満足しています」という手倉森誠監督の言葉は、意外に本音だろう。そうした姿勢が「3.11」という特別な日の試合だったという点に由来する部分もあるだろうが、決してそれだけではあるまい。こうした真っ直ぐさは、U−22代表が持つひとつの個性である。

 会見の席上、指揮官は「こうやって(代表として)集まって仕事をするたびに、細かいところ、何回も何回も繰り返さなければいけないところが、ものすごくラクになってきたなと感じている」と言って、ニヤリと笑った。攻守の切り替えにこだわり、ボールを奪ったら素早く攻め切ってゴールを目指すことを徹底してきた。パス回し(ポゼッション)の練習もしているが、ゴールの方向を意識させたものが多いのも特徴的で、そうした積み上げの成果を、手倉森監督も感じているのだろう。「前後半ともに、ボールを取ってから前を取る、ゴールを目指す姿勢は見せられたと思います」という言葉は、指揮官のサッカー観を反映したものだ。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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