代表監督内定、ハリルホジッチとは何者か その知られざる素顔と人脈、苛烈な人生

千田善

名前の由来は「唯一の・親友・指導者の息子」

日本代表の新監督に就任したハリルホジッチ。昨年のW杯ではアルジェリアをベスト16に導くなど国際経験豊富な名将だ 【写真:Action Images/アフロ】

 サッカー日本代表の新監督に、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身で、前アルジェリア代表監督のワヒド・ハリルホジッチが就任する見通しであることが、JFA(日本サッカー協会)の霜田正浩技術委員長によってアナウンスされた。3月12日に行われる理事会での承認後に正式契約する。

 ハリルホジッチといえば、昨年のワールドカップ(W杯)でアルジェリア代表を率いて史上初めて決勝トーナメント進出を果たし、王者ドイツを延長戦まで追い詰めた健闘が記憶に新しい(2−1でドイツが勝利)。また試合終了後に、選手を讃えながら男泣きした場面なども心に残った(熱血漢で、選手のやる気を引き出すモチベーターなのだ)。

 現役時代はFW。強烈なキックとヘディングが印象的なストライカーだった。指導者としては、現役時代にプレーしたフランスを含め、おもにフランス語圏で活動。パリ・サンジェルマンの監督だった2004年、レジオン・ドヌール勲章(フランスの最高勲章)を授与されている。

 その長い名前には、それぞれに意味がある。ハリルは「親友」、ホジッチは「指導者(ホッジャ)の子孫」。そしてファーストネームの「ワヒド」は、アラビア語の「独特な」「唯一の」に由来する。つまり、ファーストネームは「スペシャル・ワン」なのだ。果たして、ワヒド・ハリルホジッチとはどのような指導者なのか? 以下、彼の足跡を駆け足で振り返ることにしたい。

同郷の先輩、オシムとの不思議な縁

選手のやる気を引き出すモチベーターで、熱血漢でもある。敗れたW杯ドイツ戦の試合終了後には男泣きする場面も 【写真:Action Images/アフロ】

 ハリルホジッチは、ボスニア南部のヘルツェゴビナはヤブラニッツァの出身で、1952年(昭和27年)生まれの62歳。ベレジュ・モスタルのエースとして、ユーゴスラビアカップ(あるいはチトー元帥カップ)で優勝(81年)。ユーゴスラビア代表として、82年のW杯スペイン大会にも出場している。だが、ここで注目したいのが、同郷の先輩(11歳違う)、イビチャ・オシム元日本代表監督との不思議な縁である。

 実は81年のユーゴ杯決勝で破った相手は、オシム監督のジェリェズニチャル・サラエボだった。この試合、ハリルホジッチの2得点でベレジュが3−2の逆転勝ち。現役時代はオシム監督のタイトル獲得を阻んだライバルチームのエースだったわけだ。指導者になってからも、両者の親交は続く。オシム率いる日本代表が、アジアカップ予選でサウジアラビアを訪れた06年9月、たまたま試合会場となったジェッダのアル・イテハドの監督が、ハリルホジッチだった。オシム・ジャパンは時差ボケ対策のために、午後11時にジェッダに到着すると、そのままスタジアムに直行して深夜2時まで練習を行ったのだが、その際にもハリルホジッチがわざわざ見学に訪れて、オシムと旧交を温めていた。

 それから2年後、2人は日本で再会を果たしている。08年のキリンカップで、ハリルホジッチはコートジボワール代表監督として来日。その前年に病に倒れてリハビリ中だったオシムは、横浜・三ツ沢で行われたコートジボワール対パラグアイの試合を観戦している。その日、ハリルホジッチはオシムに、ユニホームをプレゼントすることを約束していた。ところが、オシムが試合後の混雑を嫌って早めに帰りたがっていたため、まだ試合中だったにもかかわらず、ベンチに座っていた選手に有無も言わさずユニホームを脱がせて、それを持って帰ってもらった。なかなか義理がたい人情家(?)でもある。ちなみに、オシムにユニホームをプレゼントしたのは、コロ・トゥーレだった。

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