柴崎、武藤ら若い世代に刻まれた苦い記憶 ベテラン超えへ、さらなる自己研さんを

元川悦子

求められる若手の台頭

本田(中央)、香川(右)らに頼ってばかりではいられない。求められるのは彼らに続く若手の台頭だ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 今回の日本代表は14年ワールドカップ(W杯)・ブラジル大会の主力を軸に、4試合同じスタメンで戦った。日本サッカー協会の霜田正浩技術委員長は「連戦になるので、選手のやりくりも必要だと思っていましたけれど、勝っているチームをいじらないというセオリーを、今回はある程度のところまでは踏襲をしながらチームのベース作りをやろうという話を監督としていました」と語り、土台作りを優先して固定メンバーで戦ったことを強調した。

 とはいえ、最初の2戦でグループリーグ突破を決められず、3戦目もベテラン中心の構成で挑んだことが、UAE戦の停滞感の一因になったことは否定できない事実。もはや本田や香川、遠藤や長谷部ら計算できる面々だけでアジアを制し、世界でのし上がっていくことが難しくなっている現実を、日本サッカー界全体が強く認識する必要があるだろう。

「ずっと真司や圭佑に頼っていく日本代表ではないし、次に活躍してくれる選手が出てこなきゃいけない。真司がトップパフォーマンスを戻し、代表で活躍してくれる日が1日でも早く来てくれることを望んでいるけれど、『真司がダメなら俺がやる』という選手も出てきてほしい」と、霜田技術委員長も若手の台頭に大きな期待を寄せたが、世代交代はまさに早急かつ重大なテーマだ。

 日本が敗れたUAEにしても、12年ロンドン五輪世代の若手がチームの中心。マンチェスター・シティの練習に参加したというオマル・アブドゥラフマンも91年生まれの23歳である。翻って日本代表を見ると、90年代生まれでピッチに立ったのは、酒井高徳、武藤、柴崎の3人だけ。もっとフレッシュな力が必要なのは間違いない。

柴崎、武藤に期待されること

ベテランとしのぎを削り、若手が主力の座を奪わない限り、日本代表の底上げにはつながらない 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 協会は18年のW杯・ロシア大会に向けた4年間の代表強化を、4つのクールに分けて考えている。その最初のクールが今回のアジアカップ。年齢や実績に関係なく、その時に調子のいい選手を呼ぶという考え方だったという。それが遠藤や長谷部らベテラン依存度を高める結果となった。だが、第2クールに当たるW杯・ロシア大会のアジア予選では、先を見据えた選手選考を意識的に行っていく意向だ。3月のチュニジア、ウズベキスタン戦はもしかすると今回とはメンバーがガラリと変わる可能性もある。武藤と柴崎にはその流れをリードする存在になってもらわなければならない。

「4年前の吉田麻也も22歳で、この大会でデビューして代表の経験を積んでいった。そういう意味で、武藤や柴崎ら20代前半の選手たちがこういう大会を経験して、次の日本代表の主力に育っていってくれればいい」と、霜田技術委員長も前向きに語ったが、UAE戦で同点弾を決めた柴崎、全試合出場の武藤という2人には、その自覚がより一層、強く求められる。

「今大会は試合に出られない時間の方が多かった。今日に限っては長くプレーができましたけれど、大会を通して出られなかったのは実力だったり、信頼度というのはあると思う。出られなかった経験を得られたことも、サッカー選手として大きくなるためには必要だと思います」と柴崎は、いつも通りの謙虚な物言いで、アギーレ監督の信頼を勝ち取る努力を重ねる必要があると強調した。その気持ちは武藤も同じ。「こういう大きい大会ではいい選手から使われるのが当たり前。自分自身もしっかり評価されるパフォーマンスをしなければいけない」と語っていた。

 彼らのように出場機会に恵まれなかった昌子も「よっち(武藤)や岳という同い年が出て、自分が置いていかれているというのはすごく感じてますし、早く追いつかないといけない。自分が試合に出て勝敗に関わる仕事を体験したい。それができなかったという意味ですごく苦い思いが残った大会でした」と、内に秘めた悔しさを口にした。

 かつて三浦知良を城彰二が、中村俊輔を本田が超えていったように、若手がベテランとしのぎを削り、最終的に主力の座を奪うようになっていかなければ、日本代表の底上げはない。アジアのライバル国のレベルアップが著しい昨今だけに、彼ら20代前半の若手には1日1日を無駄にせず、自己研さんにまい進してほしいものだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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