柴崎、武藤ら若い世代に刻まれた苦い記憶 ベテラン超えへ、さらなる自己研さんを

元川悦子

世界で戦う難しさを再認識した武藤

決定機を生かせず、天を仰ぐ武藤。アジアカップでは4試合すべてに途中出場したが、無得点に終わった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 1月23日にシドニーのスタジアム・オーストラリアで行われたAFCアジアカップ準々決勝、UAE戦。開始早々の7分に一瞬の縦への抜け出しからFWマブフートに決められた1点が重くのしかかり、前回王者の日本は窮地に追い込まれていた。ハビエル・アギーレ監督は早いタイミングでの選手交代に打って出る。後半立ち上がりから乾貴士に代えて武藤嘉紀を起用。今大会を通してジョーカー的に使ってきた若きFWの投入で停滞感を打破しようと試みたのだ。

 アギーレ体制2戦目だった昨年9月のベネズエラ戦で代表初ゴールを挙げて以来、武藤は4−3−3の左FWのレギュラー最右翼と位置づけられていた。遠藤保仁や長谷部誠を呼び戻した11月のホンジュラス、オーストラリア2連戦でも彼はスタメンだった。だが、アジアカップ突入後は久しぶりに招集された乾の控え。本人も悔しい思いをしたはずだ。

 それでも、指揮官は12日の初戦、パレスチナ戦から彼をジョーカーとして起用。期待の大きさを示した。しかし、本人は初の国際舞台のすさまじい重圧に襲われたうえ、相手の腹蹴りに遭って恐怖感が生まれ、普段の自分を出せなくなる事態に直面する。「いや〜、硬かったですね」と武藤自身も冷や汗をかきながら話していたが、本当に世界で戦うことの厳しさをあらためて痛感した様子だった。

 だが、賢い武藤はその経験を確実に生かせる選手。20日の第3戦、ヨルダン戦では絶妙な抜け出しとクロスから香川真司のゴールをアシストしてみせる。「香川選手は日本の中心選手ですし、アシストができて自分も非常にうれしく思っています」と、本人もようやくチームの一員になれた実感を手にした。そうやって上昇気流に乗りつつあった時だけに、UAE戦では今度こそゴールという結果がほしかった。

 その武藤は出場から7分後、香川真司の縦パスに反応し、いきなり思い切りのいいミドルシュート。ゴールへの貪欲さを前面に押し出す。その1分後には遠藤の右クロスにフリーでヘッド。絶好の得点機を迎えたが、惜しくもボールは枠の外。本人も悔しさを爆発させる。「何度もあったチャンスを決め切れなかったのは情けない」と武藤は空回りしてしまった自分を悔やんだ。アジアの戦いが一筋縄ではいかないことを、彼は身を持って再認識したに違いない。

大器の片りんをのぞかせた柴崎

UAE戦で同点ゴールを決めた柴崎(中央)。大器の片りんをのぞかせたものの、チームを勝利に導くことはできなかった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 柴崎岳が遠藤に代わってピッチに立ったのは、同い年の武藤がヘッドを外す決定機を逃した直後の後半9分。今大会に入って彼が香川とインサイドハーフでコンビを組むのはヨルダン戦に続いて2回目だった。とはいえ、前回はラスト5分足らずの出場でチームのリズムに完全に慣れることができなかったせいか、出場当初はボールタッチが少なく、思うようにリズムを作れていなかった。だが、時間の経過ともに香川やサイドの本田圭佑らとの絡みも増えていく。後半36分に自らたたき出した値千金の同点弾も、自ら本田に入れたクサビの落としを、速い振りの右足シュートで決めたものだった。

「イメージ通りと言えばそう。圭佑さんが自分のほしいところに落としてくれたので、結構イージーなボールだったかなと思います」と、本人は日本を窮地から救った得点を淡々と振り返ったが、この一撃が日本サッカーの未来への希望を示したのは確か。元日にインフルエンザを発症し、遅れてオーストラリア入りするなど出遅れた若武者はようやく大器の片りんをのぞかせることができた。

「あのシュートは鳥肌が立ちましたよね。今に始まったことじゃないけれど、自分は岳と4年間、毎日一緒に練習していて、毎回鳥肌の立つプレーをする。マックスがどこなのか全く分からんし、恐ろしいなというはすごく感じている」と、鹿島アントラーズ同期の昌子源も言い切るほどの底知れぬ可能性を、柴崎は大舞台で見せてくれたといっていい。

 延長後半12分に本田から譲られたFKが、ボール1個分外にそれてしまったのは悔やまれたが、1番手の本田や6番手の香川が外してしまったPK戦では、3番手として登場しきっちり決めた。そういう冷静さも柴崎の特筆すべき点だ。結局、彼の会心のゴールも及ばず、日本は1996年UAE大会以来の8強止まり。我々はこの結果を深刻に捉えるべきだろう。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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