「巧さ」に「高さ」が加わった東福岡 長身選手を鍛え、悲願の春高バレー初制覇

田中夕子

“つなぎ”のプレーで九州勢対決を制す

九州勢同士の決勝戦を制し、春高バレー初制覇を成し遂げた東福岡 【坂本清】

 優勝候補の大本命は、最後まで強かった。

 互いの指揮官が「練習試合や合宿、2年越しで一番よく試合をしてきた相手」と言う東福岡(福岡)と大村工業(長崎)の高校選手権(春高)決勝戦。決戦前夜、東福岡の藤元聡一監督が「ウチの崩し方を知る、唯一のチーム」と警戒していた相手に、第1セット、第2セットの序盤こそ攻め込まれる場面があった。しかし、スパイカー陣の多彩な攻撃に加え、敵将が「ブロックもレシーブも、“コレ”という武器があるわけではないけれど、ボールが落ちない、落とさないのが東福岡の強さ」と称した“つなぎ”のプレーで上回った。九州勢同士の決勝戦は3−0のストレートで東福岡が勝利、悲願の春高初制覇を遂げた。

 1年時から試合に出場し続け、ミドルブロッカーとして攻撃で存在感を発揮した永露元稀は、優勝を決めるとようやく笑顔を見せた。

「『東福岡に入ってよかった』と今初めて思えました」

九州全土でレベルアップに取り組む

藤元監督(左)の就任後、九州全土を巻き込んでレベルアップに取り組んできた 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

 サッカー、ラグビー、硬式野球。バレーボールに限らず、東福岡は数多くの部活動が全国制覇を遂げる力を持つ全国屈指のスポーツ強豪校だ。2002年に藤元監督がバレーボール部のコーチとして就任し、直後から本格的な強化に着手。もともと福岡はバレーボールが盛んな土地であったことや、春高決勝で対峙(たいじ)した大村工業の伊藤孝浩監督が中心となり、九州全土のバレーボールのレベルアップのためにと、福岡、長崎、大分、鹿児島など各県の強豪校が積極的に合宿を行い、互いに鍛錬し合う機会にも恵まれた。06年の監督就任からは、わずか2年後の08年に春高初出場を果たし、インターハイでも3位に入るなど、一躍全国の強豪校の仲間入りを果たした。

 練習は厳しく、妥協は許さない。バレーボールにおける技術指導もさることながら、コートを離れた日常生活も厳しく管理し、選手たちにとっては気の休まる時間がない。それでも、藤元監督曰く「血の汗が出るような努力を重ねてきた」結果、全国の強豪校となるにとどまらず、鶴田大樹(サントリー)や久保山尚(ジェイテクト)を擁した09年には優勝候補の本命とうたわれた。

 だが、あと一歩が越えられない。それが今までの東福岡の課題でもあった。

高さと器用さを兼ね備えた世代が入学

永露(3番)ら高さと器用さを兼ね備えた世代の入学が東福岡にとって大きな転機となった 【坂本清】

 転機となったのは、13年の春だった。

 191センチの永露や180センチの森健太郎といった長身選手がそろい、「高さ」が1つの武器に加わった。優勝候補に挙げられながらも全国制覇という大きな目標にあと一歩届かなかった頃も、190センチを超える選手がいなかったわけではない。しかし、他のチームと違わず、長身選手はミドルブロッカーに配置され、実際に試合を動かすエースとなるのは180をセンチ超えるか超えないかという選手たちばかり。それでも技術には素晴らしく長けており、高さがなくても巧さで勝ち進み、全国で準優勝、ベスト4という成果を残してきたのが東福岡という集団であった。

 なぜ13年が転機となったのか。この年入学した選手たちは、高さだけでなく器用さも備えた選手が多いのが大きな特徴だったからだ。パスやレシーブなどの基本技術を持ち、今までならば攻撃力を重視するためには目をつぶらざるを得なかった守備面においても、周りと比べても遜色ない。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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