ゲームを支配した帝京大・流主将 6連覇を実現させた「戦術眼」

斉藤健仁

「試合を遠目に見てプレーを選択できた」

試合後の会見で報道陣の質問に答える流。試合に出られない4年生への思いを語った。 【斉藤健仁】

 1月10日、ラグビーの大学選手権決勝で帝京大が筑波大を50対7で下し、前人未踏の6連覇を達成した。対大学生相手の公式戦、39連勝。帝京大は2012年度の関東大学対抗戦で筑波大に負けて以来、春も含めて勝ち続け、今シーズンも全勝で駆け抜けた。

「紅き王者」の中心で、常にタクトを振っていたのが142人の部員を束ねるSH(スクラムハーフ)流大主将だ。「ながれ・ゆたか」と読む。表彰式で、気丈に振る舞いながらも目の奥を赤くしていた。「メンバー外の4年生を笑顔にすることができてうれしかった。彼らを見たら自然と涙が出てきてしまいました」(流)

 流は、滑川剛人(現・トヨタ自動車)がチームを去った後、2年生からレギュラーとして「9番」を背負い続けた。決勝の舞台でも、その経験で培われた判断を見せ、パスとキックでゲームを支配する。岩出雅之監督も「(流の)コントロールする力が成長した」と目を細めた。「決勝は気合いが入って他の選手の視野が狭くなるかなと思っていた。だから僕は冷静になって試合を遠目に見てプレーを選択できたかな」(流)

好判断が生み出した「勝負を決めたトライ」

後半14分、流の好判断から1年生WTB尾崎が素晴らしいステップで相手を抜き去ってトライ 【斉藤健仁】

 先制トライはその流だった。前半7分、敵陣20m付近の相手ボールのスクラム。OBで元日本代表PR(プロップ)相馬朋和氏が強化するスクラムでプレッシャーをかけて、こぼれ球を流が拾い、インゴールにボールを押さえた。また24対7で迎えた後半14分、「勝負が決まったと思った」(岩出監督)というトライも流の好判断から生まれる。

 左タッチライン際で相手が反則、流がクイックリスタート。SO(スタンドオフ)松田力也(2年)にパスし、最後はルーキーWTB(ウイング)尾崎晟也(1年)が素晴らしいステップでインゴールに飛び込んだ(31対7)。「味方から『タッチ(に出せ)』という声も聞こえていましたが、相手は休んで後ろを見ていたメンバーもいた。良い判断、良いスキルを使ってトライが取れました」(流)

全国区の選手ではなかった荒尾高時代

「自分が成長できる」と選んだ帝京大で中心選手として常勝軍団を支えた 【斉藤健仁】

 流は3人兄弟の末っ子として生まれた。兄2人は野球(次兄の大輔は四国アイランドリーグの高知、愛媛でプレーし2012年度に引退)をしていたが、流は楕円球を選択する。福岡県久留米市の強豪スクール「りんどうヤングラガーズ」で小学3年から競技を始め、中学校時代はサッカーも同時にプレー。高校は「東福岡に行きたかった」が、熱心な勧誘もあり荒尾(熊本)へと進んだ。高校からSHに専念し2、3年時は花園に出場するも初戦敗退。決して全国区の選手ではなかった。

 大学は「憧れていた」という早稲田大進学も考えたが、帝京大が初優勝時の4年生に荒尾の先輩のLO(ロック)中田晃司(現ホンダ)、FB(フルバック)船津光(現JR九州)らがおり、「環境も良かったし自分が成長できる」と帝京大へ進学。「1〜2年時は自分のことしか考えていなかった(苦笑)」と振り返ったように、個の研さんに励み、2年時からは「アタック・シェイプ」の中心選手として常勝軍団を支えた。

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著者プロフィール

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーとサッカーを中心に執筆。エディー・ジャパンのテストマッチ全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」、「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「ラグビー「観戦力」が高まる」(東邦出版)、「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由」(ガイドワークス)、「ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「エディー・ジョーンズ4年間の軌跡―」(ベースボール・マガジン社)、「高校ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「ラグビー語辞典」(誠文堂新光社)、「はじめてでもよく分かるラグビー観戦入門」(海竜社)など著書多数。

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