日大藤沢・田場ディエゴを変えた、監督との交換ノート
PK戦を制した日大藤沢。その裏には田場ディエゴと監督の絆があった 【写真は共同】
この試合、神奈川県予選では“スーパーサブ”として活躍した田場ディエゴが右ウイングとして先発した。前半、ディエゴの出来は「眠っていた」(佐藤監督)という内容で、ボールロストも多くパッとしなかった。しかし、後半に入ってからトップ下に入ると好プレーが増え、後半30分にはドリブルシュートを鮮やかに決めた。佐藤監督が「後半のディエゴは本職のトップ下で水を得た魚のようだった」と言っていたことを知ったディエゴは「後半の俺はホント“魚”だった」と言って笑った。
夏休みに入る直前、佐藤監督とディエゴが衝突した。ディエゴが自分で仕掛けてボールをロスト、相手にカウンターを食らってチームが失点する。それが当時の日大藤沢のパターンだった。
「ディエゴには辛かっただろうが、それをみんなの前で突きつけた」と佐藤監督は当時を振り返る。ディエゴは怒った。
「あの時、俺はもうレギュラーじゃなかったんですけれど、先生から『やる気がないんだったら帰れ』という言葉に怒って、『何言ってんだ、コイツ』と逆らった」(ディエゴ)
部活が終わってから、ディエゴは佐藤監督の電話を受け、「お前、明日から70メートル走10本とクーパー走。そして交換ノートな」と告げられた。その交換ノートの1ページ目に佐藤監督は「君とともに日本一になりたい」と記した。これを読んだ瞬間、ディエゴは1年生だったときのことを思い出した。学校の規則を破った自分を監督はかばってくれた。部活をサボっても「これまで俺はいっぱい失敗した奴を見てきた。お前には失敗してほしくない」と監督は怒らず諭してくれた。
「それなのに俺は何ということをしてしまったんだと申し訳ない気持ちになった。その日から意識改革して、罰走も自分のためだと思って走った。交換ノートには『 一回、カチンと来たからって監督に反逆した自分はおかしかった』というようなことを書いた」(ディエゴ)
8月30日、佐藤監督は「明日で走りと交換ノートはもうお終りだ」と言った。ディエゴは「これでみんなと同じスタートラインに立てた」と思った。神奈川県予選、ディエゴは献身的にスーパーサブとして働いた。しかし、選手権出場が決まってから、どうしたら自分はレギュラーに戻れるか自分を見つめ直した。
「俺はドリブルとか何でも自分でやりたがりすぎた。しかし、周りを使うことを覚えて、自分が生きることを知った」
12月になり、佐藤監督は「この1カ月、彼はサッカーに対する姿勢と仲間に対する姿勢がすごく伸びた。今のディエゴは調子が良い。もう外すわけにはいけない」と信頼するようになった。徳島市立戦はディエゴにとって5カ月ぶりの先発出場になった。試合前のチーム写真撮影と円陣に涙が出そうになった。こうして決めたディエゴのゴール。しかし、チームは80分間では勝てなかったから、監督への恩返しとしては不十分だった。
「次は“ディエゴが決めて勝つ”ような試合をして、それを監督に捧げたい。試合に出してもらえるなら、俺は仕事しますよ」(ディエゴ)
佐藤監督は「3年生になって伸びる子は本当に楽しみ」と大人になったディエゴに期待している。
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