“日本一”中嶋一貴が見たF1と可夢偉 スーパーフォーミュラ王者は何を思う

田口浩次

モットーは「状況を受け入れる」

ファンからの最近良い顔をしている、との言葉に、中嶋は照れながら「結果が出せていること、自信を持ってやれているから」と答えた 【スポーツナビ】

――ここからはSNSで募ったファンからの質問をぶつけます。各カテゴリーのマシンでもっと運転していたいと思うマシンは何でしょうか? また、WEC(世界耐久選手権)のようにドライバーがマシンをシェアするレースと、一人で走りきるスーパーフォーミュラではどちらがやりがいを感じますか?

 難しいですが、僕の性格的にはスーパーフォーミュラが一番ですね。一人で走りきる分、責任がありますし、やりきった達成感が大きいです。その分、結果が出ないと本当につらいですけど(笑)。でも、僕は勝つことに重点を置いているので、勝つことの喜びに差はないです。一人でやるか、複数ドライバーでやるかの責任感の重さの違いですね。あと、WECのような耐久レースは多少ミスがあっても取り返すチャンスがありますが、フォーミュラは数秒のロスが致命的となります。

――楽しいのは?

 スーパーフォーミュラですかね。でも、スーパーGTも一発のグリップ感は楽しいです。スーパーGTはタイヤ競争があるので、グリップのピーク性能が本当に高い。スーパーGTのタイヤ感覚でスーパーフォーミュラに乗れたら間違いなく最高ですね(笑)。

――好きな言葉、モットーはありますか? それから好きな曲はありますか?

 レースに関していえば「状況を受け入れる」ということですかね。先ほど説明した関谷さんに言われた言葉です。好きな曲は……ミスチルは好きですが、1曲というのは選べないです(笑)。

――最近はインタビューなどでも良い顔をしていますね。この余裕はどこから来るのでしょうか?

 良い顔をしているんですかね? 本人的には自覚がないんですけど(笑)。ある程度の結果が出せていることと、結果がどうあれ、自分がやっている仕事に対して自信を持ってやれていること……ですかね。F1のときは、まだ自分の中に足りないものを追いかけているような状態でした。当然、自分の仕事にも満足していなかった。その違いですかね。

可夢偉が日本で走るイメージが湧かない

来季国内レース復帰が噂される可夢偉。12月にはスーパーフォーミュラのテストに参加した。実現すれば、中嶋にとって手強いライバルになりそうだ 【Getty Images】

――テレビなどで取り上げられる機会が少ないと思います。バラエティ番組などに出演して、もっと関心を持ってもらおうと思いますか?

 関心は持っていただきたいと思います。もっと多方面で知っていただく機会も必要だと思います。ただ、僕個人としてはバラエティ番組には向いていないかと(笑)。それぞれのやり方で、関心を持っていただける機会を見つけたいですね。口コミなどもそうですが、コツコツやっていく積み重ねかなと思います。僕はそこを大事にしたいです。

――昨今叫ばれる、若者のクルマ離れをどう思いますか?

 難しい問題ですね。大都市にいるとクルマの必要性を感じないのですが、地方へ行くと、僕も地方出身者(愛知県岡崎市出身)ですが、クルマは必需品です。クルマは便利で楽しいものだと思います。大事なのは、レースもそうですが、一度見てもらう、一度クルマに乗ってもらう。そうした人たちに足を運んでもらうことが大切だと思います。

――今シーズン、F1で苦しんだ小林可夢偉選手をどう思いますか?

 今年はつらいシーズンだったと思いますが、パドックの中にも彼の走りをしっかり評価してくれる人はいたと思います。ただ、先ほど説明した、政治的な部分で苦しんだのが残念でした。まだまだ頑張ってほしいし、もっと若いドライバーにもF1を目指して頑張ってほしいと思います。来年はホンダが復活するので、将来的には日本人ドライバーにもチャンスが生まれてほしいですね。

――来シーズン、その可夢偉選手が国内レースに復帰するという報道もありますが。(編注:可夢偉は12月10〜11日、岡山国際サーキットで開催されたスーパーフォーミュラのテストに参加)

 正直、彼が日本のレースを走るというイメージが最近まで湧かなかったですね(笑)。実際そうなったら、日本のレースにとっては良いことだと思います。やる以上は結果を出すことも当然ですし、彼にとって日本でレースをやる理由があるのだと思います。お金を稼ぐレースならば、海外にもあるわけですから。もし同じカテゴリーで戦うことになったら、非常にタフなドライバーなので負けないよう頑張ります。

中嶋一貴プロフィール

1985年1月11日生まれ。愛知県出身。父は元F1ドライバーの中嶋悟。トヨタのレーシングスクールで育ち、2007年にF1テストドライバーへ。同年ブラジルGPでデビューを果たすと、08年から2ジーズンにわたってレギュラードライバーを務めた。11年に国内レースに復帰し、12年にフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)のチャンピオンに輝いた。14年はル・マン24時間レース予選で日本人初のポールポジションを獲得、スーパーフォーミュラでは2度目の年間王者の座に就いた。

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