背負うものが多すぎた南野拓実 セレッソ大阪、3度目のJ2降格が決定

安藤隆人

U−19選手権でも大きな重責を担う

エースとして挑んだAFCU−19選手権。期待に見合う活躍を見せたが、U−20W杯出場権獲得はならなかった 【写真:ロイター/アフロ】

 そして、10月。2015年に開催されるU−20ワールドカップへの出場権が懸かったAFCU−19選手権でも、同じような表情を彼はしていた。『南野世代』の旗手として、U−19日本代表の絶対的なエースとして、またも大きな重責を彼は背負うことになった。ミャンマーの地で、その期待に見合う活躍を彼は見せた。しかし、結果として世界の切符を決めるためのPKを外したのは、南野だった――。

「悔しいし、本当に自分のせいだと思っている。でも、帰ったらセレッソを残留させるという重要なことが待っている。いつまでも引きずっていられないし、すぐに大阪に帰って頑張らないといけない」

 いろいろと思うところはあったはずだ。ゆっくりと考えを落ち着ける時間も欲しかったはずだ。しかし、それが許される環境に彼はいなかった。チームは彼が離脱していた2試合を、残留を争う清水エスパルスとの直接対決での敗戦を含む2敗という成績で、17位と降格の危機に瀕していた。

 帰国後すぐのリーグ戦となった、10月22日の第29節徳島戦。彼は大熊監督に出場を志願した。これは完全なる強行軍だったが、フル出場を果たす。この試合こそ勝利(3−1)したが、後が続かなかった。

 終わってみれば、リーグ戦1試合を残して降格が決まり、南野自身もわずか2得点と、散々な成績に終わってしまった。

屈辱の先に未来がある

大事なのはこの苦しみをどう力に昇華させるか。屈辱の先に未来がある 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 苦しみが苦しみを生む中での残酷な結果。今年の1年間、彼の表情から笑顔が消えていた。筆者の知る彼は、決してこんな表情ではなかった。ユース時代は伸び伸びとプレーをしていたし、昨年もプレーに思い切りの良さが合った。しかし、今年はそれが影を潜め、顔を歪めるシーンが多くなった。

 もちろん、だからといって同情する訳ではない。19歳といえど、彼は正真正銘のプロ。相応の期待を受け、結果を求められるのは、至極当然のこと。だが、あまりにもそれが重すぎた。

 今、彼は何を思うのか。悔しさに打ちひしがれているのか、それとも将来のことを考えているのか……。いずれにせよ、この1年の経験は彼に取って大きな財産になることは間違いない。屈辱の先に未来がある。香川も乾も、柿谷もJ2を経験し、そこから這い上がってきた。来季のことは現時点では分からないが、決してそこにあるのは絶望だけではないことを彼らの人生が証明している。それは南野に限らず、チーム全員に当てはまる。

 大事なのはこの苦しみをどう力に昇華させるか。それがマストでできない人間は、未来は望めないということも、先人たちは証明している。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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