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サッカーの価値と魅力を引き出す男
障害を感じさせない元プロ選手、相原豊

相原豊という男

相原は23歳にしてタイでプロ契約を結ぶと、その後もバングラデシュ、ウガンダでプレー。現在は障害者への指導者として活躍する
相原は23歳にしてタイでプロ契約を結ぶと、その後もバングラデシュ、ウガンダでプレー。現在は障害者への指導者として活躍する【スポーツナビ】

 秋も深まった10月。東京・巣鴨にある『大塚ろう学校』のグラウンドは笑顔に溢れていた。聴力に障害のある子どもたちが無心にボールを追いかけ、ゴールを決めるとアディショナルタイムに逆転ゴールを奪ったかのような喜びを繰り返す。このグラウンドでは、国際マッチが繰り広げられていた。対戦カードは大塚ろう学校vs.バンコク マハメークろう学校。


 ろう学校に在籍している生徒は、ろう学校内ですべてが完結してしまい、なかなか外部と接触する機会が少ない。ましてや外国人と接触する機会など皆無に等しい。しかし、サッカーの試合だけで、その閉鎖的な環境に変化をもたらした男がいた。相原豊。元プロサッカー選手。


 相原は、23歳にしてタイのタバコ・モノポリーでプロキャリアをスタートし、その後バングラデシュ、ウガンダという劣悪な環境のリーグで日本人として初めてプレー。2012年には手足に障害を抱える選手がプレーするアンプティサッカーを始め、その年にロシアで開催されたワールドカップにGKとして出場したという経歴の持ち主である。


 彼は生まれつき左腕の手首から先を失っている。おそらくこのようなハンディキャップを持ちながらもプロサッカー選手になった日本人選手は彼だけであろう。


 09年からはタイに移り住み、バンコク マハメークろう学校でサッカー部の指導を行っている。今回の“国際試合”は、その教え子たちを日本に連れて来ることによって実現された。タイ、日本両校の生徒にとって貴重な経験となったこの交流試合。しかし、タイの子どもたちにとっては、3泊4日に渡る日本での経験は、新たな気づきの連続。電車、飛行機、高層ビル群、液晶広告、日本食。目に見映りするほぼすべての物事が、初めての体験ばかりとなる遠征であった。


 次の日には、アンプティサッカーの試合を観戦したのち、アディダスフットサルパークたまプラーザのスクール生たちとの交流会に臨んだ。この日のプレーメートは健常者。健常者の中に交じっても、物怖じすることなくプレーする度胸を持ってほしい――。手話でのコミュニケーションができない相手と、意思疎通がとれるようになってほしい――。相原のそんな想いが込められた交流会だった。


 しかし、単に日本へ連れて来るといってもお金や時間、ろう学校からの承諾など多くの壁があることは容易に想像できるが、相原はそれを持ち前のバイタリティーで実現してみせた。この5年間で築いた信頼関係で学校から快諾を得ると、自らの足でタイの日系企業へと営業に回り、遠征にかかる費用をスポンサードしてもらえるようプレゼンテーションをくり返した。すると、協賛企業が10社も集まったという。さらに自ら日本へ飛び、滞在中の協力機関との打ち合わせを重ねた。すべて彼のフットワークと想い、そして人徳によってろう学校の子どもたちのかけがえのない経験は実現された。

プロサッカー選手を志した理由

バンコク マハメークろう学校でサッカー部の指導を行っている相原は、教え子たちの日本遠征を実現させた
バンコク マハメークろう学校でサッカー部の指導を行っている相原は、教え子たちの日本遠征を実現させた【スポーツナビ】

 一時はタイのプロサッカー選手にまで上り詰め、厳しい環境下でのプレー経験がある相原は、なぜシンプルに日本でのサッカー指導者の道を選ばず、このような活動を行っているのだろうか。その疑問を本人にぶつけてみたところ、その答えは相原の過去にあった。


 高校卒業後、社会人チームでプレーしていた相原は「とにかく一番になりたい」とJリーガーを目指していた。だがある日、プロを志す理由を大きく変える。


「Jリーグは厳しいだろうな、と感じたんです。ただ、就職してもサッカーは続けたいなと思い、サッカースクールを開きたいと思ったんです。障害者の人に向けたサッカースクールを。障害者に対して『前向きに行きましょうよ!』っていうのを実際にプロになった人間が言ったほうが説得力があると思ったんです。そのためには、何でもいいからとにかく一度プロになりたくて……」


 障害者の自分にしか伝えられないことがある――。


 その想い一つでまずプロになることを決意した相原は、03年に単身タイへと渡った。しかしプロへの挑戦は、ストリートサッカーから始まったという。


「街でサッカーしながら、『サッカー選手になりたい!』ってとにかくいろんな人に言っていたら、チームを紹介してもらえたんです(笑)。そしてテストを受けたら、契約してもらえました」


 ドラマのような奇跡的な展開を地で行く相原だが、先に記したようにその後もバングラデシュ、ウガンダとサッカーで生計を立てながら渡り歩く。しかし相原にとってプロ選手は通過点でしかなかった。帰国した相原は06年から3年間、日本で指導者としての基礎を磨き、09年にタイで『ユタカフットボールアカデミー』を設立。


「最初は日本のろう学校とかに指導をさせてほしいと話しに行ったら、全然だめでした。やっぱり中田英寿とか香川真司とか有名な人なら大丈夫なんでしょうけど……。なので、プロ選手として名が知れたタイで一旗あげたいと思ったんです」と語る相原は、現在も同国で活動を続けている。

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