明確にうかがえた本田圭佑の変化 リーダーとしての自覚を押し出した2連戦

元川悦子

試金石となったオーストラリア戦

セリエAではここ4試合ノーゴール。アジアカップ連覇に向け、本田の活躍は欠かせないだけに、現状打破が求められる 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 とはいえ、本田自身にしてみれば、意外なほど歯ごたえのなかったホンジュラス戦の出来をうのみにはできなかったはず。やはり来年1月に行われるAFCアジアカップの前哨戦という意味で、ガチンコ勝負になる18日のオーストラリア戦を現時点でのチームと彼自身の大きな試金石と位置づけていたことだろう。

 その一戦はこれまで通り、相手が高さとパワーを前面に押し出し、日本はボール支配率で上回る展開が予想された。しかし、ティム・ケーヒルがベンチスタートだったこともあり、オーストラリアは確実にボールをつないでビルドアップしてきた。4−3−3でスタートした日本はアンカーを務めた長谷部の脇のスペースを巧みに使われ、予想以上の劣勢を強いられる。前半15分までのポゼッション率では40%ほどと、相手に大きく引き離された。チーム全体が慣れている4−2−3−1へ布陣変更した35分以降の日本は落ち着きを取り戻したが、本田は苦しかった序盤から縦への意識を失わず、右サイドバックの酒井高徳や中央に飛び込んだ武藤嘉紀へラストパスを供給。自らも果敢にシュートを打ちに行った。時折、彼らしくないミスパスも見られたが、劣勢の状況下でもタフに戦えていた数少ない選手の1人だったのは確かだろう。

「(4−3−3の間は)オーストラリアが非常にうまくやっていたなという印象はありました。アグレッシブでしたし、スピーディーかつ簡単なミスが少なくて。最初は我慢だなと思っていたんですけど、こっちが自力で押し込めるようなところはなかったんで、そこが新たな課題かなと。今までオーストラリアとやって、ずっとそういう印象を受けていた。アジアカップでは韓国と並んで一番強力なライバルなんじゃないかなと思います」と彼はチームの未熟な部分を率直に認めていた。

 こうした身の丈を第一に考えた物言いは、強引に「W杯優勝」を掲げて突っ走っていたブラジル大会までの本田にはあまりなかった。現状をしっかりと踏まえたうえで、一歩一歩、着実に進んでいこうという彼自身の変化が明確にうかがえた。

アジアカップ連覇に向けて

 後半に入って遠藤と今野が交代してからは、チーム全体により安定感が出てきた。本田は後半16分、右CKから今野のヘディングシュートによる先制点をアシスト。さらに7分後には、森重真人のドリブル突破から岡崎慎司が右足ヒールで流し込んだ2点目の起点となる左CKを担った。その直前にも岡崎への絶妙のスルーパスで決定機をお膳立てしており、彼は「違いを生み出せる選手」としての大きなインパクトを残すことに成功。11年アジアカップ決勝以来のオーストラリア戦勝利の原動力となった。

「経験のある選手が出ているということで、臨機応変にシステムをチェンジできたという収穫もあったんじゃないかと思うし、実際に変えてから良くなったという点で、今日に関してはポジティブに見たいなと思います。アジアカップはやっぱり経験が大事ですよね。前回は何とかその場しのぎで、根性みたいな形で優勝しましたけど、ああいうところでしっかり勝っていくこと。あの大会はいろいろなハプニングがあって、格下であっても一筋縄ではいかない。そういう意味でも、この2試合はしっかり勝つことを証明できたし、本当に一歩前に進めているんじゃないかな。これでまた後ろに下がらないように、続けてやっていきたいと思います」と、本田は発展途上の新生・日本代表を努めて前向きに見ようとしていた。そのあたりも、年長者として若手に自信をつけさせたいという気持ちの表れかもしれない。以前のようにガツガツしたところばかりを前面に押し出すのではなく、チーム全体を大きく見て、調整を図りつつ、改善を促していく。それが今の本田圭佑のリーダー像なのかもしれない。

 11月2連戦は、2試合通算1得点3アシストと上々の結果で終わった。その彼が攻撃の絶対的牽引(けんいん)役としてアジアカップ2連覇、そして2度目の大会MVPを獲得するためにも、ここから12月末までのセリエAでコンスタントに結果を残し続けることが肝要だ。さしあたって4試合ノーゴールの現状を打破することが先決である。遠藤や長谷部らベテラン勢も、アギーレ監督も本田のさらなる飛躍に大きな期待を寄せているはず。今後も心身両面での進化を見続けたいものだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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