「侍」に帰ってきた内川聖一が抱く思い 忌まわしい記憶を乗り越え、次回WBCへ

田尻耕太郎

第3回WBC以来の代表入り

第3回WBC準決勝の8回裏、1死一・三塁で一塁走者・内川(写真中央)はスタートし、タッチアウト。チャンスを潰した日本は大会3連覇を逃した 【写真は共同】

 12日に開幕する「2014 SUZUKI 日米野球」に向けて侍ジャパンが始動。10日、ヤフオクドームにてソフトバンク・日本ハム連合軍と壮行試合を行った。小久保裕紀監督が就任して初めての日本国内戦である。

 今回の代表メンバーは平均年齢が25.7歳と比較的若い。「この日米野球は2017年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に向けての強化試合という考え方から、若い年齢層で経験を積ませたい選手を選びました」と小久保監督。だが、その中で数少ない「バリバリのベテラン」(小久保監督談)として、糸井嘉男(オリックス・33歳)に次ぐ年長者として招集されたのが、先頃の日本シリーズでMVPにも輝いた内川聖一(福岡ソフトバンク・32歳)だ。

 内川が代表ユニホームに袖を通すのは “あれ”以来。やはり触れないワケにはいかない。「ダブルスチール未遂」――13年3月のWBCでの忌まわしい記憶だ。

すべてを止めた“あの”走塁死

 その場面を振り返る。山本浩二監督が率いた侍ジャパンが目指したのはWBC3連覇の偉業のみ。だが、その夢は準決勝で散った。相手はプエルトリコだった。試合は打線が沈黙し大苦戦。だが0対3で迎えた8回裏、ようやく侍ジャパンが反撃に転じた。鳥谷敬(阪神)の三塁打を口火にこのWBCで絶好調だった井端弘和(当時中日、現巨人)のタイムリーでまず1点。“井端が打てば何かが起こる”。それがこの時の侍ジャパンだ。続く3番・内川もライト前ヒット。逆転を信じるムードは高まる一方だった。

 打席には4番打者の阿部慎之助(巨人)。走者は2人。一発が出れば逆転だ。しかし、その2球目に「事件」が起きた。

 一塁走者だった内川が猛然とスタート。しかし、二塁走者の井端が三進していない。異変に気づいた時には、もうぼうぜんと立ち尽くすしかなかった。相手のタッチから逃げる余力も気力も残っていなかった。侍ジャパンはそのまま1対3で敗退。試合後は泣きじゃくる内川の姿がテレビ画面を通じて日本中に流された。

「僕は第2回大会にも出場しているから代表チームがどんな思いを持って戦い、そして優勝したのか、分かっているつもりです。それを自分のプレーですべて止めてしまった……」

 これは帰国して数日後に聞いた言葉だが、まだ声を震わせて語っていたのをよく覚えている。

1/2ページ

著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント