小久保裕紀が語る、侍ジャパンの“重み” 日米野球で感じてほしい「水準」
自身の経験も踏まえ、代表の“重み”、国際試合を経験する意味について語った侍ジャパン・小久保監督 【スポーツナビ】
野球の日本代表は過去、キューバや米国という世界の強豪と肌を合わせることでレベルアップを果たしてきた。青山学院大学時代に出場した1992年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得し、13年から侍ジャパンを率いる小久保裕紀監督が、国際試合、そして日本代表の“重み”を語る。
選手寿命を伸ばした五輪の経験
バルセロナの予選が終わった後、プロに行くメンバーが抜けて「補充メンバーが必要」というタイミングでの合宿で、初めて全日本のユニホームに袖を通しました。当時の自分がアピールできるのは、長打力。合宿でホームランを打ったりして、山中正竹監督の目に止まってメンバーに入れてもうらことができました。その後は「最強キューバを倒して、とにかく金メダルを取って帰ってくる」ということしか考えていなかったですね。
――キューバと対戦してどういうことを感じましたか?
バルセロナ五輪前の5月、強化試合でキューバに行きましたが、第一印象で感じたのは、シートノックの華麗さ、球さばきの柔らかさと強さでしたね。
――プレー面ではどんな印象を受けましたか?
キューバの選手たちはイレギュラーをものともしないハンドリングをしている。上から投げていたピッチャーがいきなりサイドから投げるわ、球が速いわ。正直、「なんだ、こいつらは?」って驚きました。ショートのメサ、セカンドのパチェコ、サードのリナレスの動きを見て、「到底、日本は勝てない」と思いましたね。
――若い時に世界トップレベルを直接見られたのは貴重な経験ですね。
もし五輪で他の国のレベルを見ていなくて、刺激を受けていないと、「これくらいでいいや」と終わっていたと思います。キューバを見て「いまの自分は下手だけど、ここを目指さなければいけない」という気持ちで練習できたことが、野球選手として寿命を長くできた要因のひとつだったと思う。大学時代は「逆立ちしても彼らに勝てない」と感じていたのが、リナレスが02年に中日にやって来た時、「対等にできるな」と思った自分がいたのはうれしかったですね。
――国際試合によって日本では味わえない経験をしながら、選手としてのレベルがどんどん上がっていった、と?
そうですね。キューバで試合をしたり、五輪に出たりという経験は、野球人生の中で積み重なっていくものです。「日本は恵まれているな」と感じたことは、人生でプラスになりました。去年、侍ジャパンの遠征で台湾に行った時、初日からバスが予定時間に遅れて来たんですよ。「国際大会ってこんなものだよ」という話を選手たちにはしました。生活環境や時差、食事の違いを含めて、「海外で試合をする時はこういうものなんだ」と。そういう経験をすることは、WBCに向けても必要だと思います。