秋山監督がよみがえらせた大砲・吉村裕基 自信戻り恩返しへ=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

「俺がやる。」に込められた秋山監督の思い

CSファイナル第1戦でサヨナラ打を放つなど、6打点を挙げMVPに輝いた吉村(写真中央)。不遇の時代を乗り越え、復活した背景には秋山監督の存在があった 【写真は共同】

 秋山ホークスはまだ終わらない。10月20日、福岡ソフトバンクがパ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)ファイナル第6戦を4対1で勝利し、3年ぶりの日本シリーズ出場を決めた。

 長い、本当に長く感じた1週間だった。

 開幕前日の14日、チームに衝撃が走った。秋山幸二監督の突然の退任発表。同日朝に新聞報道されたことでバレてしまったのだ。「不本意」と、指揮官は何度もそう言った。秋山監督はスーパースターとして活躍した現役時代、そして指導者の立場になっても一貫して言い続けたのは「準備の大切さ」だった。今季のチームスローガン「俺がやる。」にもその思いが込められている。

「俺がやる、と他人に言いきるためにはそこに臨むための準備、またはそこにたどり着くまでの苦労がなければ、胸を張って言えないだろ。それができるのがプロだし、野球なんだ」

 秋山監督は寡黙な男で、取材者からすれば何度苦労したことか……。ただ、それも「余計なことを口にしてチームに悪い影響を与えたくない」という、秋山監督なりの「準備」だった。それがCS開幕直前のまさかの退任報道。ナイン、またはコーチやスタッフ、チーム全体が動揺しないために、「迷惑をかけたくなかった。だけど、(報道が)出てしまった以上、何がチームのために良いのか、思い悩んだ」(秋山監督)結果の緊急記者会見だった。

重苦しい雰囲気を振り払ったのは吉村の一打

 15日のCSファイナル開幕日。表面上ではチームは元の雰囲気に戻っていた。だが、試合が始まると劇的なリーグ優勝を決めた「10・2」(10月2日のオリックス戦)のような雰囲気がない。スタンドの勢いも何か違っていた。

 試合はビハインドの重苦しい展開。もし、あのまま初戦を落としていれば、このCSは違った結果になっていただろう。秋山監督も「1勝のアドバンテージがあった中で、初戦を取ることができたのが大きかった」と振り返る。

 この試合もリーグ優勝決定時と同じような劇的な幕切れだった。1点を追いかける9回裏、1アウト二、三塁。ヒーローになったのは吉村裕基だった。日本ハム守護神の増井浩俊のフォークボールをとらえた打球はセンター頭上を越える強烈なライナー。逆転サヨナラの2点タイムリーツーベースとなった。

 吉村は第4戦で勝ち越しタイムリー。大一番となった第6戦でもチャンスで走者をかえし、勝利した3試合すべてで打点を挙げた。第5戦は敗れこそしたが、大谷翔平のストレートを打ち返して先制の2点タイムリーツーベースを放っている。CS6試合で6打点の勝負強さ。最高の栄誉であるMVPを獲得した。

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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