身一つで世界に戦いを挑んだ革命家 中国テニスを変えたリー・ナ引退に寄せて

内田暁

“恐妻家”ジョークを得意とした

9月19日に現役引退を表明したリー・ナ。チャイナ・オープンでは引退セレモニーが行われた 【Getty Images】

「あなたは、まだハングリーなの?」

 そんな英語の質問に対し、彼女は表情を引き締め、強い口調で即答した。
「もちろんよ! だって、まだ夕飯を食べてないんだもの」
 当意即妙なその切り返しに、ドッと笑い声を上げる記者たち。彼女は顔をクシャっとさせて笑うと、指を立て、いたずらっぽくウインクした。

 今年1月末の、オーストラリア・メルボルン。中国の女子テニスプレーヤー、リー・ナが自身2つ目のグランドスラムタイトルを獲得し、世界ランキングも2位につけた全豪オープン優勝時のことである。

 リーの「お笑い英語インタビュー」はファンの間では有名で、特にオンコートインタビューでの、夫イジリが人気を博す。
「昨日は、夫のイビキがうるさくて眠れなかったので、部屋から蹴り出してやったわ」「ショッピングに行くと言うと、旦那は何を買うのかとゴチャゴチャ聞いてくるから、『いいからクレジットカードだけよこしなさい!』と言ってやったの」

 そんな“恐妻家”ジョークが彼女の十八番。ユーモラスで面白い……いつからかリーには、そんなイメージが定着していた。

言語の壁を乗り越える

最初は通訳を伴って会見に応じていたリー。言葉の壁や偏見は、最初の大きな障壁だった 【Getty Images】

 そのようなリーの社交的な姿勢と明るい笑顔を目にすると、いつも思い出すことがある。

 彼女が、中国人選手として初のグランドスラムベスト8進出の快進撃を見せた2006年ウィンブルドン。その物珍しさも手伝ってか、記者会見では彼女の生い立ちや中国のテニス事情、さらには中国という国そのものに関する質問が多く投げかけられた。
「なぜ、もともとバドミントンをやっていたのに、テニスに転向したのか?」「中国では、獲得賞金の多くを国の協会に取られると聞いたが、それに不服はないのか?」

 それらの問いの後半に、こんな質問も向けられる。
「で、君はいつになったら、通訳無しで会見をやるんだい?」

 そう……そのころのリーは、会見に通訳を同伴させていたのだ。言葉の壁による不要な誤解を招きたくないとの配慮だろうが、テニスの世界では、英語はいわば共通語だ。アジアと欧米の文化の差、中国という国の情報の少なさ、そして欧米メディアからの偏見――彼女が越えなくてはならぬ障壁は、コートの外でも高かった。

 そのリーが初めて通訳なしで会見を行ったのは、おそらく翌07年3月、カリフォルニア州のインディアンウェルズで開催された大会ではなかったろうか。

「いつもの通訳は、どこに行ったんだい?」
 米国の男性記者がリーに向けたその声には、幾分か無作法な響きが乗っているように感じられた。それでも彼女はこの大会で、「今の楽しみはショッピング。何を買うのかって? 目に入る物、全てよ!」などのユーモラスな発言をし、米国メディアの心もつかんでいく。文化や言語の壁を乗り越え、欧米中心のテニスの世界へと歩み寄ったのは、リーの方であった。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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