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技術委員長を退任した原博実が振り返る
アギーレ招へいの経緯とW杯の敗因
技術委員長を退任し、専務理事に専念する原博実氏。退任に際し、今何を思うのか
技術委員長を退任し、専務理事に専念する原博実氏。退任に際し、今何を思うのか【宇都宮徹壱】

 9月11日に開催されたJFA(日本サッカー協会)理事会において、日本代表の強化責任者である技術委員長が原博実氏から霜田正浩氏に交代することが正式に決まった。原氏はこれまで兼任だった専務理事に専念することとなるが、まずは「お疲れ様でした」と申し上げたい。原氏が技術委員長となったのは、2009年2月のこと。以来、10年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会を戦った岡田武史監督を手厚くサポートし、続くアルベルト・ザッケローニ監督、そしてハビエル・アギーレ監督の招へいでは強力なリーダーシップを発揮した。


 原氏が技術委員長であった5年と7カ月は、日本サッカー界にとっても何かと振幅の激しい時代であった。そんな中、原氏が果たした一番の功績を挙げるならば、日本サッカーの目指すべき方向性を「パスを主体とした攻撃サッカー」と見定め、その方向性に合致した指導者を技術委員会主導で交渉に当たったことである(かつてはJFA会長の鶴の一声で監督が決まることもあった。ほんの12年前の話である)。今回のアギーレ就任についても、(継続性の部分については注意して見守る必要があるものの)クラブと代表で実績のある指導者を迅速に確保できたことは高く評価してよいだろう。


 一方で原氏に関しては、批判がまったくなかったわけではない。技術委員長と専務理事を兼任することの整合性を疑問視する声はかねてよりあったし、今回のW杯惨敗についての責任を果たしていないという厳しい意見もある。長きにわたって情熱を傾けてきた、代表強化の最前線から離れるにあたり、本人は今何を思い、そして批判に対してどのような考えを持っているのか。原氏の言葉を2回にわたってお届けすることにしたい。(取材日:9月2日 インタビュアー:宇都宮徹壱)

最初からアギーレ一本だったわけではない

――今日はよろしくお願いします。さっそくですが、原さんは昨年12月からずっと技術委員長と専務理事を兼任されていました。技術委員長という肩書は、もう取れたのでしょうか?


 いいえ、実はまだ取れてないんです。それはなぜかというと、新しい技術委員長を決めるには(JFAの)理事会の承認が必要なんですが、8月は各種大会が多く、理事会がなかったものですから。通常、毎月あるんですけれど、8月だけないんです。アギーレさんが就任する時に強化担当がいないっていうのもまずいので、それでこの前(の就任会見)は一緒に出たんです。次の理事会は9月11日かな? そこで理事会がありまして、次の新しい人が決まればね。


 先日の会見(8月11日のアギーレ就任会見)で言ったように、実質的には新しい体制で動いているのですが、組織として誰も(トップに)いないという時間は作っちゃいけないのでね。


――なるほど。そんな原さんの技術委員長として最後の大仕事が、アギーレの日本代表招へいでした。先日の会見でも、アギーレは「4年前は結果的にまとまらなかったが、その後もJFAが自分の仕事を見ていてくれた」と語っていました。4年前は最終的にザッケローニに決まりましたが、原さんの中でアギーレのプライオリティーはかなり高かったという認識で間違いないでしょうか?


 高かったですよ。ただ4年前も今回も、いきなり会ってオファー出すわけじゃないんです。やっぱりいろんな人と会った中でわれわれも「候補の一人で」と言って話はしますけど、いきなりオファーを出してどうですかと言ったことはないです。その人のサッカー観であったり、日本代表に対する認識や興味であったり、あるいは人間性であったり家族の状況なんかもしっかり確認しておく必要がある。


 だから「(日本代表監督のオファーを受ける)可能性はありますか?」と聞くことはあっても「すぐに来てください」とオファーを出すことはないです。ついでに言えば、この4年間ずっとアギーレさんだけを追いかけてきたわけではなくて(4年前の候補だったマヌエル・)ペジェグリーニさんや(エルネスト・)バルベルデさんなんかの情報は常に仕入れていました。だから彼(アギーレ)だけではない。


――ということはザッケローニが日本代表に決まって以降も、原さんは常に4年後のことを念頭に置きながら、次の候補者の情報を把握されていたということでしょうか?


 そうです。新しい候補者も含めてね。そもそも代表監督って、ものすごいプレッシャーの中で仕事をしているんです。本人だけでなく家族に問題が生じることもあるし、日本で震災があったときも、そこで契約解除という可能性もないわけではなかった。幸いザッケローニさんの場合、本人の体調が悪くなることもなかったし、W杯予選も順調に突破できました。でも何かあったときのために、こちらとしてもいろんな情報を持っていないといけないわけです。


――今回アギーレに決まるまでのプロセスについては、報道を見る限りわりと早い段階から一本化で動いているように感じられたのですが、実際はどうだったんでしょうか?


 そうでもないです。ただ、彼がエスパニョールとの契約を更新しないという情報は入ってきていました。もちろん、他からオファーが来る可能性もあったので、彼だけに狙いを定めてというのはおっかなくてできなかったですよ。ですので、常にいろんな情報は集めていました。こういうことって、いつ何があるか分からないですからね。

アギーレとの交渉はW杯が終わってから

原氏(左)は監督候補者の状況を常に把握。アギーレ監督(中央)との交渉はW杯が終わってからだった
原氏(左)は監督候補者の状況を常に把握。アギーレ監督(中央)との交渉はW杯が終わってからだった【宇都宮徹壱】

――最終的にアギーレにオファーをするにあたり、やはりザッケローニの4年間からの継続性というものは重視されていたのですか?


 そうですね。それは継続性というか、基本にあるのは「日本のサッカーをより高いレベルに導いてくれる人」ということ。決して監督だけがすべてを変えるとは思ってないですけど、監督の実績や経験はものすごく大きいと思います。なぜ日本人ではなくて海外の監督を呼んでいるのかというと、その実績や経験が明らかに日本人より豊富であると考えるからです。


――今回のW杯期間中、原さんは言うまでもなく日本代表にずっと帯同されていたわけですけれど、その間にアギーレとの詰めの交渉はどうされていたのでしょうか?


 大会期間中? いや、交渉はしてないです。大会期間中は大会のことしか考えてなかったですね。でも情報は集めていましたよ。相手がフリーでないと交渉はできないですからね。ペジェグリーニさんにしてもバルベルデさんにしても、クラブとの契約は残っていたし、そういう人たちに違約金を払ってこっちに来てもらうなんて現実的には無理なんです。だから今季で契約が切れている人、あるいは切れていなくても「こういうふうに話を持っていければ」という可能性がある人の情報は集めて、常に持っていました。


――実際にはコロンビア戦(6月25日)の前後で「後任監督にアギーレ氏が濃厚」という報道が出ていましたが。


 そういう報道が、なぜ出たのかは分かりません。ただ、エスパニョールで一緒にやっていたスタッフは、またアギーレさんと一緒にやりたかったのに「もうやらない」と言われたと。それで「どこかからいいオファーがあったのではないか」とマスコミに話したのかもしれないですね。ただ「給料を倍出せ」とか「息子を入閣させろ」とか、そういう報道もありましたけれど、まったくそんなことはなかったですよ。4年前にも「ビクトル・フェルナンデスにオファーを出した」という報道がありましたが、そんなことは一切なかったし。彼がそうだとは言いませんが「日本からオファーがあった」と言って、評価を高めようとする話なんて、この世界ではいっぱいあるわけですから。そんなもんですよ。


――とはいえ、日本がグループリーグ3試合でブラジルを去るというのは、協会にとっても原さんにとっても想定外だったと思います。にもかかわらず、大会終了後にアギーレとの交渉が非常にスムーズにまとまったのはちょっと驚きでした。


 まずはタイミング。それと前回も交渉していたことじゃないですかね。関係者を通じて「今でも日本代表監督に興味はあるの?」みたいなコミュニケーションはとっていたのでね。もちろん4年前も、まったくゼロの状況から(監督探しを)スタートさせたわけではないけれど、予想以上に時間がかかってしまいました。今回については、アギーレさんはエスパニョールと契約延長はしなかったけれど、今回のW杯で解説の仕事をやっていましたし、大会が終わるまでは会えなかったです。僕らも(日本が敗退してから)ブラジルには行っていません。


――ということは日本代表が解散してから、ブラジルでアギーレとは接触してないということでしょうか?

 

 接触してないですね。


――つまりW杯が終わってからですか?


 終わってからですね。終わってからでしか、直接の接触はしてないです。もちろん間に入っている人を通じて情報は得ていました。でも、日本のメディアの情報網はすごいですから(苦笑)。なので(大会が終わるまで)われわれは直接的に何もできなかったというのが真実ですね。

宇都宮徹壱
宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著はスポーツナビでの連載をまとめた『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版)

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