甲子園が「野球の聖地」たるゆえん、変わらぬ姿で伝説を見守り続けた90年
甲子園で生まれた数々の伝説
開場当時関係者に配られたという冊子に掲載された建設中の写真。甲子園が作られていく貴重な資料だ 【写真=BBM、AP】
それはこの球場で多くの名勝負や伝説が生まれているからだ。選手たちが伝説の生まれた球場でプレーできることは、名誉であり誇りなのだ。
33年夏の準決勝、中京商対明石中の延長25回の死闘。69年夏決勝の松山商対三沢の同じく延長18回引き分け再試合。98年夏決勝の横浜・松坂大輔(現メッツ)のノーヒットノーランでの優勝。06年夏決勝の早実対駒大苫小牧の延長15回引き分け再試合などなど、挙げればキリがないくらいの名勝負がこの球場で作られた。
そして夏の甲子園の場合は、47都道府県の代表(49地区の代表)が日本一を目指す大会で、お盆の季節も重なり、日本人が故郷への思いを強くする大会でもある。
甲子園より1年前、1923年開場の旧ヤンキー・スタジアム。「ベーブ・ルースが建てた球場」として愛されたが、08年シーズン限りで閉場となった 【写真=BBM、AP】
そこは旧球場の雰囲気を残しているが、あくまでも雰囲気を残しているだけで、感触はもう味わえない。その球場独特の雰囲気は本物でないと感じ得ない。甲子園にも、独特の雰囲気がある。それは90年間の重みでもある。もしこの先、新球場を作ることになり、雰囲気を継承したとしても、すべてを受け継ぐのは無理だ。だからこそ、甲子園は永遠に今の姿のままの甲子園であってほしい。