災難を好機に変える小川泰弘のプラス思考〜燕軍戦記2014〜VOL.4

菊田康彦

突然降りかかった災難……骨折で長期離脱

骨折から復帰した小川泰弘。投球フォームを見直し、“2年目のジンクス”を打破できるか? 【ヤクルト球団】

 突然、思わぬ災難に見舞われた時、人はどう思うのだろう。
「オレはなんて不幸なんだ」と嘆くのか。あるいは「とことんツイていないや」と落ち込むのか……。

 東京ヤクルトスワローズの小川泰弘の場合、そのどちらでもなかった。プロ2年目、5月で24歳になったばかりの右腕は考えた。それは自分に原因があったのだ、と。

「だからああいう打球を打たれたし、ボールにもしっかり反応できなかったんだと思います」

 ああいう打球──。阪神・鳥谷敬の放った痛烈なラインドライブが小川の右手を襲ったのは、開幕から自身3連勝で迎えた4月18日の甲子園でのゲーム序盤のことだった。

「気がついたら(右手に)当たってた感じです」

 小川は打球が直撃した瞬間をそう振り返る。
「そのちょっと前に菅野さんが当たってて、“オレも当たっちゃったよ”って……。“オレも頑張って投げなきゃな”って思ったんですけど、無理でした」

 その2日前には、巨人の菅野智之が神宮のヤクルト戦で打球を右手に受け、それでも7回まで投げ続けていた。そのことが小川の脳裏をよぎったのだ。しかし、続投は不可能だった。帰京後、都内の病院で受けた精密検査の結果は「右手有鉤骨鉤(ゆうこうこつこう)骨折」。骨がくっつくまでに6週間かかると診断され、長期の離脱を強いられることとなった。

支えになった石川の言葉

 不幸中の幸いだったのは、手術の必要がなかったことだ。
「折れ方がそんなに悪い折れ方じゃなかったんです。折れた骨と骨の間が離れてたり、ズレてたりしたら手術だったんですけど、ズレがほとんどなかったんで手術はしなくてよかったんです」

 骨折のため、キャッチボールなど右手を動かす運動はもちろん、ランニングも控えざるをえなかったが、翌日にはさっそく体を動かし始めた。上半身および下半身のウエートに体幹や肩周りのトレーニング、有酸素運動のエアロバイクなど、その段階でできることはすべてやろうと思った。
「そんなにすぐに前向きな気持ちになれたわけではないですけど、手術しなくて済んだことは不幸中の幸いととらえて良い方向に考えました。落ち込んでてもしょうがないんで、やれることをしっかりやろうって」

 そうして小川は復帰への道のりを一歩一歩、歩み始めた。投手陣のリーダーである石川雅規からかけられた「ライアン(小川の愛称)が戻ってくるまで、みんなで頑張るから」との言葉も支えになった。5月に入ってランニングを再開。20日にネットスローを行うと、その1週間後にはキャッチボールを開始した。その間、ケガをした阪神戦の映像を見返して、あらためて実感したことがあった……。

「ケガをする前は体の開きが早くて、バッターから見やすい(投球)フォームになっていたと思います。体が一塁側に流れていて、力が逃げてしまっていたのを映像でも確認できました。そういう(良くない)フォームをしていたから、ああいう打球を打たれてしまったんだと思います。開幕戦の時から少し(フォームが)違うなっていうのはありましたし、狙ったところから(球が)シュートしてしまったり、そういうのは感じていました」

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著者プロフィール

静岡県出身。地方公務員、英会話講師などを経てライターに。メジャーリーグに精通し、2004〜08年はスカパー!MLB中継、16〜17年はスポナビライブMLBに出演。30年を超えるスワローズ・ウォッチャーでもある。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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